月食と日食~シュタイナー(人智学)による秘教的・オカルト的理論・説明・定義について
1年のうちおよそ2回、約半年(6ヶ月)の間隔で繰り返される月食と日食(月蝕と日蝕)は、通常の満月や新月とは違う特別なものだと考えられています。この記事では、シュタイナー(人智学)が考える月食と日食の秘教的・オカルト的理論・定義・解釈・考え方について書いていきます。
この記事の目次
日食と月食で何が起きるの? シュタイナー(人智学)の理論による説明
以前、一般的な占星術・天文学上の定義や意味については説明をしました。
日食と月食に関してはシュタイナー(人智学)は、占星術や天文学の考えとは少し違う理論をもっていますので、説明していきます。
シュタイナーによると、日食と月食はそれぞれ反対方向に設定された安全弁だと言われています。
弁は、何かを取り入れたり、何かを排出することによって、弁が取り付けられた内側を一定の状態にキープするものです。日食と月食が弁として機能することで、地球が一定の状態にキープされ安全が保たれると考えられます。
では、日食・月食という弁から地球へ出たり入ったりするのはどういうものでしょうか?
シュタイナーによると、日食・月食を通じて出たり入ったりするものは、悪しき想念、邪悪な考え、悪一般であると考えています。
シュタイナーによると、月食のときには、通常であれば地球の大気圏外からは入ってこない宇宙空間からの悪しき想念が吸引されて地球の大気圏内に広がります。
シュタイナーの言葉を借りると、
秘儀参入者(イニシエート)は、月食には精神的な(スピリチュアルな)ものが背景に存在しているということを知っていました。つまり、月が食になって暗くなると、暗闇によって、人間の顕在意識ではなく無意識(潜在意識)への内なるつながりを持つ思考が流入するということです。
そして、古代のイニシエートたちは、時々以下のようなたとえ話を弟子たちにしました。
これを現代風に言い換えてみると、「夢想家は満月の光のもとで散歩する。しかし、世界から良くない悪魔の思考を受け入れたいと思う者は、月食の光のもとで散歩する」というものです。
なぜなら、実際に、毎年日食と月食が繰り返されることによって、これらは一種の「正反対の弁」として機能するからです。
ご存知のように、弁というものは、適切な時期に開くことによって、たとえば蒸気を逃がすことで損害が生じないようにするためのものです。
物理的な現象としては日食および月食として生じるこれらの弁は、日食の場合であれば、地上にはびこる悪しきものをルシファー的な方法で宇宙圏へと運び去ることができ、その宇宙圏で災厄を広げる一方で、月食の場合であれば、特に悪しき思考に取り憑かれたいと思う人間に対して、宇宙から悪しき思考が入り込むことができるようにします。
となっているそうです。
なお、このように書くと日食は良い意味(浄化)があり、月食は悪い意味(悪が入り込む)がある、と短絡的に結論づけてしまうかもしれませんが、実際にはどちらも必要なプロセスとして起きているということに注意してください。
以下、日食・月食それぞれにまつわるより詳しいシュタイナーの理論をご紹介します。
日食の意味~北欧神話のラグナロクのフェンリル(狼)のエピソードと人間の内なる意志の力を呼び覚まし新しいキリスト意識の誕生のきっかけになる
日食は、シュタイナーによると地上の悪しき想念を宇宙空間へ運び去る一種の浄化作用があるできごとだと言われていますが、より深いレベルを探っていくと、日食は、人間の古い透視能力が死に絶え、新しい霊的力が生まれるプロセスに関わっています。
ここで少し脱線しますが簡単に説明すると、シュタイナーは、古代の太陽の叡智に由来する見霊能力(透視能力、霊能力)は一度手放す必要があり、それらの先祖返り的な力に固執することは、今後人類が獲得すべきキリスト意識に基づく新しい霊的力の誕生を妨げると考えています。
シュタイナーは、北欧神話に関する講演をしたときに、ラグナロク(神々の黄昏)でフェンリル(狼)がオーディン(太陽)を追いかけて飲み込み、その後オーディンの息子であるヴィザールによってフェンリルが打倒されるというエピソードにからめて、日食にまつわるこんな話をしています。
古代の北欧人は、日食で見たものに関して正しく理解することができました。もちろん、古い見霊能力のあった時代である古代の北欧人は、現代の私達が望遠鏡でみるのとは全く違う形で「見て」いました。古代の北欧人は、太陽を追いかける狼というイメージを選びました。狼が太陽に追いつくと日食が起きると考えたのです。これは、事実と深く一致しています。この言葉は、北欧神話の偉大さ、特に偉大な見霊能力に属するものだと言えます。
ここで私(シュタイナー)は、示唆を与えることしかできません。しかし、何週間にもわたって北欧神話について話すことができるならば、北欧神話のイメージを全面的に思い描くことができるでしょう。したがって、この神話は古い透視能力によるものでありながら、自我(Ich)がいたるところで活躍しているというケースになります。
現代の物質主義に囚われた人間は、次のように言うでしょう。これは単なる迷信にすぎない、と。狼が太陽を追いかけるわけがないと。古代北欧のイマジネーション能力のあった人間は、これらの事実をイメージとして見たのです。これに関しては、いわゆる科学的な真実をいろいろ語ることはできるでしょう。しかし、こうした真実はアーリマンの影響を受けており、狼が太陽を追いかける、とアストラル的な観察を述べることよりも大きな誤謬を含んでいます。
オカルト主義者にとっては、より大きなレベルで迷信と言えるものが存在しています。つまりそれは、日食とは、月が太陽の前に来ることで起きるという説明です。この説明は、外的なものだけを観察すれば全く正しいです。それはちょうど、アストラル的な観察による狼ということが正しいのと同じように。より多くの誤謬にさらされている現代の書籍に書かれているものよりも、このアストラル的な観察は正しいとさえ言えます。
ラグナロク(神々の黄昏)において古い太陽意識を象徴するオーディンがフェンリル狼に飲み込まれて死に絶え、その後、新しい太陽意識(新しい時代のキリストに由来する力)のヴィザールが狼を打ち倒すということが、日食という現象の中心モチーフであると考えられます。つまり、日食がシンボルとして表す最も暗くなるときにこそ、内なるキリスト意識の光が最も強く呼び覚まされるのです。
そして、人間が行うことはすべて宇宙に対して霊的なフィードバックを与えることになります。人間が、意志の力、衝動および本能に関して発達させてきたことは、宇宙の中へと常に光線の形で出ていきます。この意志の力の光線の作用は、日食が起きるときには重要な変化を見せる、とシュタイナーは言います。
日食が起きるときは、日食が起きていないときとは全く違う作用を日食が影響を及ぼします。太陽光線が我々を貫き、意志の光線が太陽を貫くということを私達は知っていますので、日食のときには、精神的なものである意志の光線に対して何らかの影響を与えるであろうということを想像することができます。
月によって光線は遮られます。これは純粋に物理的なプロセスです。月の物理的な物質によって意志の光線は遮られません。意志の光線は、暗闇を突き抜けます。
そして、地球上で意志をもっていたものは、日食が起きていないときに宇宙空間に流れ出すのとは違うやり方で、仮にそれが短時間であったとしても暗闇を貫きます。
日食以外では、太陽光線の物理的な質は、常に放出された意志の光線と結びつきます。この場合(日食の場合)、放出された意志の光線は円錐を成して妨げられることなく宇宙空間に出ていきます。
古代のイニシエートは以下のことに気づいていました。つまり、このような場合(日食の場合)、人間の抱く野放図な意志、衝動および本能がすべてそのまま宇宙空間へと出ていくということです。そして、古代のイニシエートは、弟子たちにこのように説明しました。通常であれば、人間の悪しき意志が宇宙空間へ流れ出ていくものは太陽光線によってある程度焼き尽くされるので、こうしたものは人間を損なうだけにすぎず宇宙を損なうことはありません。しかし、日食が起きているときは、地上の悪しきことを全天に広めるという機会になります。つまり日食とは、全くもって精神的な内容を有する物理現象なのです。
つまり日食は、無自覚に過ごしていると悪しき想念や悪しき衝動を宇宙空間へそのまま垂れ流しにしてしまう機会になってしまうので、日食の暗闇は、人間自身の意志の力を目覚めさせてキリスト意識を生み出すためのきっかけとして使うべきだということなのです。
月食の意味~悪を地球に取り入れて人間の内なる進化のための試金石とするきっかけを与える
月食は、宇宙空間から悪の思考や悪しきものが地球の大気圏内に入ってくる現象になります。
一見、月食では悪いことが起きているように思いますが、月食もまた必要な「弁」であるというシュタイナーの考えを踏まえると、月食で起きている現象は人類にとって必要なことだと言えるでしょう。
ここで大切なのは、シュタイナーは「悪」に関して独特の理論がある、ということです。シュタイナーには、「悪の秘儀」という著作もあります。
>>>悪の秘儀―アーリマンとルシファー (シュタイナー天使学シリーズ)
シュタイナーによると、「悪とは、かつては善であったものが進化を拒み、古い時代の変化しない姿のまま後の時代に姿をあらわすこと」(時代遅れの悪)もしくは「もっと後の時代には有用なものが、未熟な形で前の時代に現れてしまうこと」(時期尚早の悪)です。絶対的な悪が存在しているわけではなく、「悪とは、時と場所を間違えた善」なのだということです。
つまり、先程日食にからめてお話したように、古代の見霊能力は、その次代には正しいものであったけれど、現代においては役に立たないばかりか悪しき影響を与える、という場合の悪になります(時代遅れの悪)。
以下は、シュタイナーの時代意識と関連する説明になりますが、第四時代では、内面における生と死の克服が重要でした。この時代の秘儀は生と死の克服にまつわるものです。しかし、私達が生きる第五時代にはは、内面悪の克服が重要になります。なぜなら、来る第六時代には、現代の私達が内側で体験している悪が外界で体験されることになるからです。
ここでもう一度、月食の意味に立ち戻ってみると、月食のときに、少しずつ「悪」を取り入れることによって、人間は悪に自分自身を慣らして(プチ秘儀参入して)、内なる進化の試金石としているのではないでしょうか(※これはシュタイナーが明言していることではありません)。つまり、次の時代には、いたるところで目にするようになる悪という現象に立ち向かうために、一種の免疫を作るために、月食を通して内面を鍛えているのが今の状況なのかもしれません。
日食・月食は、ジャン・スピラー&カレン・マッコイの本でも同じような扱いになっている
なお、ここからはシュタイナーではなく私の自論になります。
前回ご紹介した日食・月食の記事で、ジャン・スピラー&カレン・マッコイの本では、出生直前の日食(プレネイタルソーラーエクリプス)は、その人が生涯をかけて追い求めるテーマであり、出生直前の月食(プレネイタルルナーエクリプス)は、そのために克服しなければならない課題を示していると書きました。
これを、今回の記事でご紹介したシュタイナーの見解と合わせて再度解釈すると、出生直前の日食(プレネイタルソーラーエクリプス)は、その人がキリスト意識が最もよく働く分野・テーマを示し、出生直前の月食(プレネイタルルナーエクリプス)は、キリスト意識の顕現を妨げることになる悪の分野・テーマを示す、と言い換えることができるかもしれません。