水瓶座30度の秘密。花咲くアーダスの野原&超古代文化にルーツのある霊的な同胞団&花咲く白い睡蓮で満たされた大きなため池
12月29日の木星魚座入りを控えて、今木星が水瓶座29度に入っています。サビアンシンボルでは水瓶座30度に相当する度数ですが、この水瓶座30度の度数について、あれこれ語りたいと思います・・・。
というのが、私、今年の冬至前後にとても重要な出会いがあって、冬至の日に、ある方の主宰する会に入らせていただくことになりました。この会というのが、まさに水瓶座30度らしいテーマの会なのです。
さらに私のもともとの出生図では火星がこの度数(水瓶座30度)にありまして、しかも、自分の場合なんとこの火星が、月による掩蔽のタイミングとほぼ同じだと気付いてしまい、ある意味では自分の出生図の中でも重要な天体なのですね。
※月の掩蔽についてはこちらに書いている~
このように、ここ1か月ほどの間に私に起きた変化、そして私自身の出生図の火星というテーマと深く関わっているため、私にとっては水瓶座30度は重要度数なのですね。
ちなみに、水瓶座30度の度数を、ある人は「アセンデットマスター(白色同胞団)の度数だ」と言い、松村先生の解説では「禅」に関するものだとされていますが、ちょっとスピリチュアルな雰囲気の強い度数なんですよね。
ただし、その「スピリチュアル」は、厭世的なふわふわしたものではないんです~。
ところで、水瓶座30度のサビアンシンボルのジョーンズ版では、
The field of Ardath in bloom. 花咲くアーダスの野原
です。
ここでいうArdath(アーダス)というのは、古代バビロンの都市名として、あるスピリチュアル小説の中に登場する場所なのです。
ジョーンズは、もともと古代バビロン(カルデア(サビアン))の占星術の霊団とのコネクションが強いのですが、この古代バビロンの地名であるArdathへの参照を、ルディアはちょっと盲目的と表現していますねー。
で、ルディアが提唱している代わりの水瓶座30度のシンボルは、
Deeply rooted in the past of a very ancient culture, a spiritual brotherhood in which many individual minds are merged into the glowing light of a unanimous consciousness is revealed to one who has emerged successfully from his metamorphosis. 超古代文明の過去にルーツを持ち、数多くの個人のマインドが溶けて一つの意識の光へと一体になった霊的同胞団が、自身のメタモルフォーゼを遂げた個人に開示される。
という超長いシンボルなのw
でね。最近私がはまっているチャンドラシンボルだと、
A large pool filled with white water lilies in bloom. 花咲く白い睡蓮で満たされた大きなため池
なのです。
確かにこの3つのシンボルはすべて、アセンデットマスターというか、そういう見えない霊的同胞団と関連する度数なわけですが、それぞれにフォーカスポイントが少し違うのね。
ジョーンズ版では、古代バビロンの霊的同胞団という狭いローカルな霊統とのつながりが意識されています。もちろん、様々な霊的なグループが存在していることは確かであり、そういう霊団とのつながりは私にもありますが、ルディアは、このジョーンズ的なローカル性には否定的なのですよね。
私がこのシンボルを見て感じるのは、むしろヒマラヤの花畑、つまりシャンバラの近くにある天空の花畑ですね。
そういう意味では、ルディアが言うように、特定の霊団に限定されないアセンデットマスターが住んでいるというシャンバラ的な霊的同胞団の話が出てくるのは、とてもうなずけるのです。
ある意味では、シャンバラのあるヒマラヤの谷に咲く美しい花々は、特定の時代や特定の地域、民族、性別に限定されない一人一人のマスター的な存在を象徴しているのでしょう。
しかし、ここでさらに、チャンドラシンボルを見ると、そこにあるのは、同じ花でも、清浄なヒマラヤの山中に咲く花ではなく、汚いため池的なところに咲く白い睡蓮です。
睡蓮や蓮は仏教的には「蓮華」として扱われます。仏教には様々な色の蓮華がありますが、その中でも特に重要なのが、白蓮華、つまり煩悩に汚されない仏の心を示す白い蓮華なのですね。
ただし、その煩悩に汚されない白蓮華も、煩悩を象徴する汚いため池とつながっているというのがポイントです。
浄土真宗では、このような白蓮華を分陀利華(ふんだりけ)と言い、そのような心を持っている人を妙好人と呼びます。
特に江戸時代以降は、在俗の篤信者として、ごく一般の庶民として生きながら厭世せず篤く信心する人たちを妙好人と言ったのです。そう、厭世せずに信心を持ちながら俗世で生きた人たちです。
この、厭世せずにスピリチュアルに生きるというところに、水瓶座30度意識のポイントがあるなーと思います。シャンバラにつながりながら厭世せず俗世で生きるということですね。
ところで、仏教と厭世は時に結び付けられるテーマであり、特に小乗仏教の中にはその傾向は強いですね。
しかし、不思議と日本では、仏教を篤く信仰しながら普通に生きる(普通の仕事を持って生きる)という人達が江戸時代以降増えます(特にその事例が、仏教を信仰しながらビジネスをしていた近江商人だと思っています。)
私はこれは、シュタイナーが言う17世紀前半に仏陀が火星で行った秘儀と関係していると思います。つまり、出家して俗世から隠遁して霊的に生きる人たちと、俗世で煩悩にまみれて生きる解脱できない人たちという分離がこの仏陀による火星における秘儀の時点からなくなり、普通に生活しながら霊的な学びをすることができる時代が来たと言われています。
実は今、日本における大乗仏教の勉強をしているのですが、そういう意味でもこの水瓶座30度の示唆するものは非常に深いと個人的には感じております。