剣を持ったまま鳥の声を聞く。真剣勝負とは、周りのすべてのものを取り込むこと。
最近東洋の占い(易)の勉強が佳境に入ってきて、日々勉強しながらブラッシュアップを続けています。今日の個人セッションでも裏メニューとして少し提供させていただきましたが、なんか・・・すごく意味がはっきり出てくるのでビビりましたw
そして、めちゃくちゃ当たるだけではなく、改善の処方箋もセットになっているので、これから先個人鑑定として提供できるのが楽しみです^^
※西洋かぶれ?(笑)の私が東洋の占いをやっている理由w
さて。
私はもともと、西洋占星術という自由度の高い占いをずーっとずーっと研究してきました。
西洋占星術の発祥の地は、諸説ありますがギリシア・ローマです(もちろん元型はシュメールとかエジプトにもあります)。
ギリシア・ローマの時代というのは、自由な個人(市民)というものが初めて歴史上に登場した時代でもあります。
そのため、このギリシアやローマの神々のエネルギーの影響を受けている西洋占星術は、「伝統や遺伝に縛られない、多次元的で宇宙意識や超古代から続く唯一絶対の自分という魂の壮大な歴史」を読み解ける進化し続ける占術だと思っています。
特に、西洋占星術は、「個我の意識」というのでしょうか、現代人の魂の在り方ととてもフィットしていると感じます。
この「個我の意識」というのは、シュタイナー的に言うと15世紀のルネサンスの頃から始まり現在なお進行中の意識魂的な在り方と読み替えてもいいでしょう。
意識魂の時代、みんながまるっと共同体や宇宙につながっていた古代のような状態ではなく、一人一人がある意味でバラバラになり、自分の個別具体的な在り方、ユニークな在り方を追求する時代です。
そして、人間の魂が霊的なものから最も離れて、肉体に降下する時代でもあります。
こう言う時代背景がなければ自然科学や物質主義は発展せず、今日私たちが享受しているような高度な科学技術の繁栄の恩恵はあり得ないのですが、同時に環境破壊や各種の病の増加という弊害も起きてくる時代でもあります。
また、私たちひとりひとりが個として輪郭線をきちっと引けば引くほど、霊的な世界と切り離され、自然と切り離され、家族や他の人と切り離され、孤独や孤立という状況を招きやすい時代でもあるのです。
でね。
まさに今の時代、そういう「個我の意識」の時代のある種の極に達しているな~と思います。
つまり、ちょうど今この流れが変わる転換期が訪れつつある、ということです。
※これをマニアックな言葉で言うと、火星紀から水星紀への移行とも言う。キロンのテーマでもある。
そしてこの時代の変わり目において、私たちには2種類の誘惑がやってきます。
一つが、「個我の意識」がまだ未発達だった古代的な意識に退化(回帰)したいと思う誘惑。
もう一つが、今の現状をそのまま強化し限界を無視して変化に拒もうとする誘惑。
この2つの誘惑を避けながら(この2つの誘惑の間でバランスを取りながら)、次の時代に進むためのヒントが、個我の意識を保ったままで周囲のもの全てと調和する、という在り方です。
別の言葉で言うと、
依存(古代の状態、そのままでは人間は環境に依存した幼稚な状態のまま)
↓
自立(現代、個我の意識の発達、行き過ぎると環境との不調和を招く)
↓
共存(未来、個我を保ったまま環境と調和する)
というような流れが起きてくると思うのです。
これをよく示しているのが、NHKドラマの宮本武蔵のシーンです。
素手の柳生流の創始者の柳生石舟斎に、がちがちになった宮本武蔵が木刀で斬りかかるのですが、全く太刀打ちできません。
そしてこの手合わせが終わったときに柳生石舟斎が武蔵に聞きます。
「竹刀をかまえているときに外の鳥の声が聞こえたか? 今日は綺麗な声で鳴いていたなあ」
もちろん武蔵には聞こえていませんでした。石舟斎が続けます。
「勝負の最中に風の音を聞け。鳥の声、水の音、それを知らずして剣の腕だけを磨いても無駄だぞ、武蔵!」
やがて武蔵は、吉岡伝七郎という有名な吉岡道場のトップと京都の三十三間堂で手合わせをします。
この試合の冒頭で、武蔵は吉岡に告げます。
「真剣勝負とは、風、音、鳴き声、周りのものすべてを取り込むことだ」
そう、石舟斎に言われたことを武蔵は既に会得していたのですね。
そして、いざ試合が始まり、武蔵は三十三間堂の外の渡り廊下を走ります。吉岡伝七郎はその下の庭を走ります。
武蔵が突然ジャンプをして吉岡に斬りかかります。吉岡は、雨上がりの地面を忘れて走っていたため、滑ってうまく停止できません。バランスを崩した吉岡の剣は空を切り、武蔵の竹刀が吉岡に命中しました。
ここでキーとなるのは、単純に環境に身をゆだねればいい、周りと調和していればいい、ということではないということ。
繰り返しますが、
依存(古代の状態、そのままでは人間は環境に依存した幼稚な状態のまま)
↓
自立(現代、個我の意識の発達、行き過ぎると環境との不調和を招く)
↓
共存(未来、個我を保ったまま環境と調和する)
なのですね。
依存の状態と、共存の状態は、一見似ています。
でも、共存の状態にあって、依存の状態に存在しないのは、自立した個我の意識を持った人間です。
つまり、武蔵が剣の腕を磨かずに、ただ古代人のように生きるステージにとどまっていたら、鳥の声や風の音を聞きながら剣をふるって勝つという最終ステージには行けないのです。
そう、今の時代、単純に古代的な子どもっぽい依存の状態に回帰することは、未来に予定されている共存のステージに行けない、ということなのですね。
西洋占星術が得意としているのは、私たちの個我の意識の在り方、そのユニークな在り方を見ていくことです。西洋占星術は、魂の輪郭線をはっきり描くことに長けています。つまり自立のステージを極めて行くことにとても長けています。
ですが、、この自立のステージを超えて、自分と周囲とが相並び立つ共存のステージに行くために必要なのは、非西洋的な手法、東洋の手法なのですね。
そして私はこの東洋の手法としていったいどの占術がいいか・・・を長らく探してきたのですが、それが今やっている易と風水を組み合わせた占術なのだなあ、と思っています^^
大切なのは、剣を手放さないまま(個我を保ったまま)、鳥の声を聞く(環境・周囲と調和する)こと。
これが多分、これから先私がやりたいことでもあるなーと感じています。