持統天皇と草壁皇子、古代日本の陰陽五行と風水の仕掛け、そして新しい時代の風水は?

高橋ともえ

ここ最近風水のお勉強がクライマックスに近づいてきて、日々卦を立ててその卦に対する処方を考える日々です。その流れで、以前から読もうと思いつつ読めなかった、吉野裕子さんの「持統天皇 日本古代帝王の呪術」を読み終えました。

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それにしても、自分が易と風水を始めてから、いやー、古代の日本で持統天皇も、全く同じことをやってるんや!とびっくりしています。

たとえば、歴代の天皇が五行の徳を順番に体現するという五行循環に基づき、自分自身を土徳の君として持統天皇は自負していました。

そのため、持統天皇の記録を読むと、重要な行動や儀式の日付をすべて土の行を強める日に設定しているんですよね。
他にも、有名な宮廷歌人の柿本人麻呂は、実は改名された名前なんですが、「人」は五行でいうと土なのです。

こんな風に、持統天皇は、土徳の君として自分を定義し、自分に関連することすべてを土の行の象徴で埋め尽くして補強していました。

父が天智天皇、夫が天武天皇というサラブレット中のサラブレットである持統天皇。極めて頭の切れる女性だったのでしょう。ですが、同時に冷酷さのような側面も持っていました。権謀術数を使っていろいろな敵対者を殺害したと言われています。

たとえば、自分の姉と夫天武天皇の間の皇子である大津皇子は、草壁皇子に対する謀反を企てた罪を問われ刑死していますが、これは持統天皇の差し金であると言われています。

※この辺りの大津皇子の怨霊話を書いた、折口信夫の「死者の書」は人形劇のアニメで見るとすごい美しいですよ~

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しかし、そうした政敵を葬り去ったということ以上に恐ろしいと思うのが、吉野裕子さんの本において最も衝撃的な、「持統天皇による実子草壁皇子殺害」という仮説です。

草壁皇子は、持統天皇と天武天皇の長子で、順当に考えれば天武天皇亡き後の後継者としては、草壁皇子であろうと目されていました。実際草壁皇子は皇太子になっています。

しかし、天武天皇が亡くなってからすぐに草壁皇子を天皇にすることはなかったんですね。
その理由として、草壁皇子の年齢が30歳になっておらず、当時の風習では30歳前で天皇になることはできないとされていたから、なのですが・・・。

大津皇子の死からわずか半年後に草壁皇子も突然死んでしまいます。

吉野裕子さんは、この2人の皇子が亡くなった月に注目します。

大津皇子の刑死は、亥月に行われました。亥月は易卦でいうと、坤為地、つまり陰の気が最も強まる時期でした。
一方で草壁皇子の死は翌年の巳月。巳月は易卦でいうと、乾為天、つまり陽の気が最も強まる時期でした。
ここまで対極的な月に2人の皇子が亡くなっているのは人為的なのではないかと、吉野さんは推測するのですね。

なお、草壁皇子の死に関しては、日本書紀に
「皇太子草壁皇子尊薨」(皇太子草壁皇子のみことが薨去された)
とだけ記されているのです。この謎めいた急死の背後に、吉野さんは実母持統天皇がいるのではないか?と考えています。

亡くなった日付だけではなく、2人の皇子が葬られた場所も対極的であると吉野さんは考えています。

まず、大津皇子の墓は二上山にあります。一般には二上山の頂上であると考えられていますが、おそらくそれはダミーで(古墳が見つかっていない!)、実際には二上山のふもとに葬られているのではないかというのです。

二上山は都から見て西、つまり日が沈んでいく場所です。そして、坎であり、坎とは「暗いじめじめした穴」なので、おそらくは湿地とか沼のあるような低くてくぼんだ土地なのではないかと思われます。鳥谷口古墳という古墳が吉野さん曰く本当の大津皇子の墓だそうです。

一方、吉野さんは、仮説として草壁皇子の墓である高松塚古墳を想定しています。※草壁皇子のお墓と言われている場所は、他にもあり、吉野さんの説は完全に学界で受け入れられているわけではないですが。
高松塚古墳は、北斗七星や天上界の星々などを描いた壁画が有名です。草壁皇子が天上界へのぼっていき、神となることを祈念して作ったと吉野さんは考えているのですね。

・・・この説を読んで、もう10年以上前に初めて読んだ、梨木香歩さんの「丹生都比売」を思い出しました。

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これは、梨木さんが吉野裕子さんの学説をもとに、母持統天皇によって殺害される草壁皇子の視点で語る物語で、持統天皇の恐ろしさと哀しさというものが伝わってくるお話です。この本を読んだ当時は、弱者として淘汰されるという運命を受容する草壁皇子の葛藤と諦念が切なくて、1回読んでからもう1回読みたいとは思えない本でした。

・・・ところが最近、いったいなぜ持統天皇は草壁皇子を殺したのか、というのが、風水を学ぶことでうっすら見えてきたのです。

それは、草壁皇子をさしおいて持統天皇自身が権力の座に就きたかったからという単純なことではありません。単なる母性の欠如とこれをとらえるのであれば、少し視点が低いと思います。

むしろそこには、ある意味では強くありたいという動物的な母性があるからこそ、「子孫」全体につながる盤石な権力構造を作るための装置として、自分の血に連なる子孫のうち、高貴ではあるが病弱で凡庸と言われていた草壁皇子を犠牲にしたという策略があったと思います。

・・・梨木さんの丹生都比売において、母鳥が何羽もいる子鳥のうち、特定の鳥に餌をやらないというシーンが出てきます。これは、母鳥の目が行き届いていないわけではなく、弱そうな子鳥には生存のチャンスはないと判断し、弱肉強食で強い子鳥たちを生き延びさせるための判断です。これを見た草壁皇子は自分と母持統天皇の関係性を見て取ってゾッとするのです。

しかし、持統天皇はこの時代一の呪術の使い手でもありました。

冷酷な視点で見たときに自分の皇子を殺さざるを得ないという判断をすると同時に、殺してしまう自分の皇子を風水的な呪術を使った墓に祀ることで、自分と息子である草壁皇子の系譜に連なる子孫の皇位を盤石なものにしようとしたのでしょう。

本来の風水が陰宅風水、つまりお墓の風水であったことを考えると、持統天皇が自分の子どもの遺体を使って墓の風水を仕掛けたのではないかということは容易に想像できます。

ちなみに、草壁皇子は皇位にはつきませんでしたが、死後「岡宮天皇」という名前をおくられています。
この「岡宮」って、まるで古墳のようでもあり、墓地のようでもありますよね。

以前、韓国映画の「風水師」を見たのですが、風水のもっとも重要な技術の1つに、お墓を選定するという技術があります。
この映画の中で、権力者たちが明堂と言って家系の栄華や子孫繁栄を約束する土地に自分の一族の墓を作ろうとする墓の争奪戦が繰り広げられていました。

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映画「風水師。王の運命を決めた男」~権力と風水と水瓶座の月のサイクル今日は4月27日で蠍座満月なのですが、個人的にはなんだかもう水瓶座上弦の月のサイクルのことを思い出しています。(年運リーディングの方々へ...

この映画の中で、ある権力者の家族が、子どもが親を殺す、というシーンが出てくるんですよね。。。そして殺した親の死体を使って、良い場所に一族の墓を移そうとするのです・・・。

え~~肉親を殺してまで?と思っていましたが、改めて持統天皇と草壁皇子のその後の血筋をたどると、少なくとも文武天皇、元正天皇、聖武天皇、孝謙天皇と天皇を輩出しています。当時は天皇家といっても皇位が安定しなかったことを考えると、少なくとも持統天皇から数えて皇位が4代続いていることは注目に値すると思います。

実際、草壁皇子は28歳で亡くなりますが、その時すでに皇子含め子どもが何人かいました。だからこそ持統天皇は、草壁皇子を殺害したのかもしれません。仮に草壁皇子が死に絶えても、その次の後継者はいるから、と。

・・・現在の日本では陰宅風水は中国や沖縄などに比べるとそれほど主流ではありませんが、古代においては全く違っていたのでしょう。

各地に残る古墳は、呪術の道具になっていたと思われます。亡くなった偉大な人物の死体や首などを呪術的に利用することも行われていた形跡があります(将門の首塚とかはまだその名残ですね)。

・・・実は私は、20代の頃風水を勉強していたことがありますが、その風水は中華系の風水で、いかに社会の中で権力者として有利な立場に立つかという発想から組み建てられた風水から派生したものでした。

・・・これが、私個人はあまり好きになれなかったのですね。

なぜかというと、特定の土地を特定の一族が占有することによって、広範囲に影響が及び、一時的であったとしても不利益を受ける人たちが出てくることを否めないからです。どこかを過剰に高めることは、どこかを過剰に低めることにもつながります。

ただ、これは古代においては肯定されることだったでしょう。なぜなら、外敵からの侵略を受けないために国としてまとまらなければならない時代、カリスマ的な一族に権力を集中させる必要があったからです。持統天皇の時代はまさに、そういう時代でした。

しかし、今の時代は古代とは違う、と私は思います。

私の大学の大先輩・荒俣宏先生は、風水という言葉を日本で(再度・ポップに)広めた立役者と言われています。その荒俣先生のシム・フースイという本を読む機会がありました。

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この本の中で、かつては中国で国家の計に関わる風水を学んだ風水師の黒田という人物が、

「近代風水は、個人の幸福を増進させる力でなくてはならない。都市や国家といった抽象的な存在は個人の幸福に奉仕してはじめて意味をもつ。順位からいえば、当然、個々人の下にこなければならない」

というようなことを言っていて、非常に共感できました。

何より今の日本では、かつては風水的に特定の一族が占有してきたと思われる祖霊を祀る良地を、神社として万人に分け隔てなく公開しているという点に大きな違いがあります。※日本風の風水ですね~

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日本で、ジョブズとかビルゲイツみたいな巨万の富を得る億万長者的な家が、(天皇家など一部をのぞいて)出てこない理由の1つが、この神社というパワースポットを一般に開放しているからではないかと思います。一方で、「世界で一番成功した社会主義国家」と言われるくらい、日本ではそれなりに皆が豊かになっているともいえます。

もちろんこれは完全に好みの問題ではあります。

私の風水と易の先生も、正しいかどうかではなく幸せになるための風水(そしてそれは、自分を含め各方面と調和する風水)を提唱していますが、誰かを貶めたり、自分の家系の誰かを犠牲にしたりして成立するエネルギー操作は、長くは続かないと思います。

古い時代の叡智は、ただそのままよみがえらせても意味がなくて、やはり時代の意識(天の時)にあったアップデートが必要だと思います。古代のように動物を犠牲にしたり、人に呪いをかけたり、蹴落とすのではなく、それ以外の方法で十分、人は幸せにも豊かにもなれると思うんですね。

そういう風水だからこそ、私は今の先生に風水を習っているんだなあと思います。

そろそろ試験が終わったら独り立ちなので、いよいよ鑑定をオープンしていきますね。

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ABOUT ME
高橋ともえ
高橋ともえ
星読み風水師
1981年生まれ。 魂の可能性を緻密に描き出すドイツ系西洋占星術と陰陽五行説に基づく日本の卍易風水を組み合わせて「魂の高揚感を地に足をつけて楽に生きる」お手伝いを講座やセッションを通して提供しています。 訳書に、『ヒーリングエンジェルシンボル』(ヴィジョナリーカンパニー)、『四気質の治療学』(フレグランスジャーナル)がある。詳しいプロフィールはこちらから。
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