[つぶやき]女はあえて一度穢れたいときがある。ドビュッシーの「海」
昨日、魚座新月&ホワイトデーに寄せて、私自身の過去の痛すぎる恋愛話をシェアしました・・・。びっくりされた方もいたかもしれないけど、私は本当に傷だらけというか(笑)、スマートな生き方は全くできない人間です。
昔、お友達から、
「ともえちゃんはあえて頭をガンガン打ちつけながら進んでいくタイプだよねー」と言われたこともあるし、
逆に、
「あなたは高速道路は走れるけど一般道は走れない特殊な車だ」と言われたこともある。
そう、私はいつも、一般道走るとエンストしたり事故るタイプです(笑)
世間知が足りないというのか、不器用というのか、傍若無人というのか・・・。
いずれにせよ、私の20代は危なっかしいことこの上なく、でも本人としてはとてもまじめで真剣に生きていたと思う。
打算で動くことができず、常にハートのセンサーで動いていたため、人生の遠回りをたくさんしています。
何か勝手にまじめでスマートなイメージを持たれやすいのですが、本人全くそんなことなくて、バカみたいなことばかり繰り返しています。
で、その最たるものが昨日メルマガでお伝えした恋愛話なんだけど(笑)
でもそれも結局ね、
「女はあえて一度穢れたいときがある」
っていう体験をさせてもらったという、そういう意味では豊かさと愛だったわけで。
ここで、私はやっと女性性開花が大切、とよく言われていることの真意を理解した気がする。
それは、あらゆる体験の全肯定、闇やネガティブ体験をも豊かさだったと愛しむ気持ち。
これは、男性性にはない質なんだろうし、女性性の本当の強さなんだと気付きました。
例の恋愛のせいで、私にとって10年近く、ドビュッシーの「海」はトラウマでしたが、この間この曲を聞いたら、そこで展開されているうっとりするような美しさを改めて味わえた。
男性は世界を知りたいと思い、女性は世界に「なりたい」と思う。だから、女性にとってあえて一度穢れたいっていうのは本能的なものでもある(たとえそれが本人気づいていなくても)。
女性の人生は何をどう転んでも豊かでしかなく、たとえどん底のように思えることを体験したとしても、それすらもひとつの海のうねりの連続性の中にあるんだから、安心したらいいんだよね。
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