現代人は皆、プロメテウス。アストラル的欲望を叶えるたびにエーテル的生命力が損なわれ続ける
ここ最近というか、昨年キロン講座をリリースするにあたってずっと、プロメテウスのことを考えています。
というのが、ご存知のように、キロンは最後、自身の不死性をプロメテウスに譲って死んでいくというシーンがあるからですね。
※キロン講座はこちら~
最近、秋になって隕鉄が大気中に増えてきたからか(笑)、読書する時間がとりやすいので、プロメテウスに関するシュタイナーの言説を読んでいます。
※日本語だとこちらの本に載ってるー。
この本の中でシュタイナーは、現代人は皆プロメテウスである(プロメテウスは現代人の象徴)と言っています。(正確には、プロメテウスは「第五根幹人類」(現在の進化段階の人類)の象徴と言っています)
プロメテウスというのは、「先に考える者」という意味で、プロメテウスの弟はエピメテウス(後に考える者)。
これは人類の2種類の思考パターンなのですが、これまで私たちは、エピメテウス的に環境からの影響を自分に作用させて、その後で思考を形成してきました。
これに対して、(主に18世紀くらいから)徐々にプロメテウス的な思考が強くなっていきます。つまり「まず最初に思考内容があり、それを現実に移していく」ということを人類は行うようになったのですね。
今風のスピな文脈でいうと「思考は現実化する」というやつですかね。
そして、今後人類はますます、プロメテウス的な思考、つまり未来を創造し、発明し、発見する思考を優勢に行うようになると言います。
実は、このようなプロメテウス的な思考は、常に鉱物的なものと結びついている、とシュタイナーは指摘しています。つまり、ゼウスからの罰を受けてプロメテウスがコーカサスの山の岩に結び付けられているように、私たち現代の人類は、純粋に物質界の基盤の上に発展していくという運命を持っているのだと言います。
さらに、プロメテウスがゼウスから盗み人間に与えた火という技術、つまり現代人の行う「現実化させる思考、発明し、発見し、未来を創造すること」はすべて、本質的に物質に対する人間のごく私的な興味、エゴイズムから生じているとシュタイナーは言います。だからこそ、プロメテウス的な思考が非物質的な鉱物界に向けられるとき、最も大きな成果が得られるのだそうです。
原始時代の発明にはじまって、近現代のあらゆる発明に至るまで、結局のところその背後で動いているのは人間の欲望(カマ)であり、このようにして欲望が物質に満足を求めることによって、ますます人類は物質につながれてしまう、そういう状況になっています。
ここで、人体の構造について話をすると、人間の肝臓はエーテル体、プラーナと生命体と関係しています。そして、胃は、欲望(カマ)とアストラル体とに結びついています。
この前提をもってプロメテウスのイメージに戻ると、非常に興味深いことが分かります。
プロメテウスは、ゼウスから火を盗むこと(プロメテウス的思考、現実化させる思考、発明し、発見し、未来を創造すること)の罰を受けてコーカサスの山の岩(鉱物的な世界)に結び付けられています。
そして、毎晩、大鷲がやってきてプロメテウスの肝臓を食い破ります。大鷲は、アストラル的な欲望(カマ)の象徴であり、肝臓は人間自身のエーテル体、生命力そのものの象徴です。
プロメテウスの永劫の苦しみは、現代人が、思考を現実化させ、発明し、発見し、未来を創造しようとする限り必然的に続く苦しみを象徴しています。
ここからプロメテウスが解放されるためには、秘儀参入者が必要。それが、ヘラクレスなのですね。
そして、ヘラクレスがプロメテウスを解放するにあたって、キロンの犠牲が必要でした。つまり、前時代的な形態の人間の供犠がなければ、プロメテウスは解放されなかったのです。
プロメテウスは、神々からの自立を象徴する新しい人類でもあります。ゼウスが嫉妬したということは、神々の領域にあった力をプロメテウスが手にしたからです。つまり、人間が人間自身を導くに至るまで人類が成長したということです。
しかしプロメテウス的思考の代償として、現代人は苦しまなければならないのです。夜になると大鷲が肝臓をついばむがごとく、自分自身の欲望が自分の生命力を消耗させ、損ない続けるという苦しみを受け続けることになります。
そして、そのような現代人を解放するために、秘儀参入者であるヘラクレスもまた、あらゆる苦難を経験しなければならないというのですね。
それだけではなく、前時代的人類(生命力と叡智に満ちた、しかし古い時代の形姿を保った存在)の象徴であるキロンの犠牲もまた必要だということです。
プロメテウス神話では、別々の登場人物という形で描かれますが、すべての要素が、ひとりひとりの現代人の内部で行われるます。
つまり、私たちは思考を現実化させるプロメテウス的思考の代償としてゼウスから罰を受けて苦しみ、ヘラクレス性によって自らを解放し、そのために自分のキロン性を犠牲として捧げるのです。
18世紀の特に後半、ゲーテが生きた時代、ヨーロッパでは突如様々な文学作品にプロメテウスが登場しブームとなります。さらに19世紀に入り産業革命以降、人類が欲望によって思考を現実化させる行為が加速化しますが、その結果、自分たちの生命力を損なっていきます。これは、人類が人類以外の自然環境に対して行う環境破壊ともフラクタル構造になっています。
だからといって、旧時代的な牧歌的な状態に戻ることもまた、人類は許されない退化となるでしょう。
人類は、プロメテウス的思考が強まる代償として病んでいく自らの生命力や、元に戻らないすさまじい自然環境の破壊の彼方で、何かが「解放」され「変容」が起きているということを見る「新しい知覚(視力)」を獲得しなければならないのでしょう。
こんなことを、先日福井の永平寺に行った後くらいから考えています。
永平寺は、絶え間なく雲水たちの営みによって場が浄められており、伊勢神宮と似た不思議な雰囲気のある場所でした。
※余談ですが、アリス・ベイリーも占星術的観点からヘラクレスの試練について秘教的な話を書いていますねー。興味深いです。