[つぶやき]オールドソウルと「悪魔」と地球の歴史~旧世界と新世界のはざまで
年末からめっちゃ個人の探求モードに入りまくりで、ほとんどブログ更新できていませんでした・・・。
実は、この数週間の間で、自分自身の魂の歴史に関する謎が一つ解けそうな感じがしています。
それが、「悪魔」って何者なのか?という話です。
突然悪魔と言われても・・・て感じだと思うのですが、シュタイナーの定義だと、悪魔(悪)というのは、「場所と時を間違えた善」なのですよね。そういう意味での「悪魔」です。
私は、自分の魂は結構古いと思っています(※古いからえらいとかそういうことではなく、むしろ何回も落第しているというイメージですが・・・)。地球の歴史の中でも、相当古い時代のころから記憶があるように思いますし。。。
世間ではレムリアとかアトランティスが天国みたいだったようなことを言う人がいますが、私の感覚では、レムリアもアトランティスもかなり原初の時代からは離れていると思っていまして、正直、「新しい時代」の部類です。
シュタイナーは、地球は、土星紀、太陽紀、月紀、地球紀、木星紀、金星紀、ブルカン星紀という7つの「紀」にまたがって進化していくと考えています。そして、それらがさらに7つ、さらに7つ、さらに7つ、さらに7つとサブカテゴリに分かれていくと考えています。
今私たちが生きているのは地球紀の第4循環の第5人種期(後アトランティス期)の第5文化期です。
レムリアやアトランティスというのは、地球紀の中で、私たちが生きる時代の2つ前と1つ前です。
しかし、私が思い出した?古い魂の記憶というのは、レムリアやアトランティスではなく、それらをはるかにさかのぼる月紀とか、土星紀とかの記憶なんですよね。
記憶といっても、あいまいなもので、感覚に近いようなものですので、これが正しいとか正しくないとかいうことはとりあえずおいといて・・・
で、冒頭の「悪魔」の話に戻りますが、「悪魔」と呼ばれている存在は、なぜ生まれたのかというと、悪いことをしたからというような単純なものではなく、紀から紀へと移り変わるときに、正当な進化を遂げなかったからなのです。
ある意味で「悪魔」というのは、ある「紀」の正義や善を体現しているような存在だったのです。ですが、時代と時代のはざまのなかで、その推移に乗れず、いつの間にか進化の正道から逸脱してしまった存在だということです。
余談ですが、阿修羅という存在もかなりこの「悪魔」の定義に沿っていますね。間違った正義を振りかざすことで正義の神から悪神に転身してしまったわけですので・・・
で、私自身が、この定義を深く感じ入るきっかけになったのが、コロンビア出身で南米やメキシコで活躍したSamael Aun Weor(サマエル・アウン・べオール)のThe Revolution of Beelzebubという本を読んだからです。
>>>The Revolution of Beelzebub (English Edition)
Beelzebubって、ベエルゼブブという名前ですが、聖書にも出てくる古い悪魔です。
そして、この悪魔は、まさに土星紀から地球にいた古い古い存在なのです。
The Revolution of Beelzebubでは、筆者のサマエル・アウン・べオールがアストラル次元でこのベエルゼブブに出会い、関わることで、彼が回心して黒魔術から足を洗って進化の正道に戻り、人間として転生するという話に絡めて、地球の土星紀、太陽紀、月紀・・・という古い歴史が描かれています。
サマエル・アウン・べオールの霊視内容がすべてうなずけるというわけではありませんでしたが、土星紀=アルカディアであったという表現は、かなり私としては響くものがあり、レムリアやアトランティスでさえも、より次元を下げた、原初的なものからは「遠い」時代だったという表現にも首肯できるものでした。※今はやりの五次元も、私的には??です・・・。
で、ここから先は、私個人の話になりますが・・・
私自身が自分の魂の過ちとして、強烈に覚えているのは、時代の移り変わりに抵抗し、古い正義・善にしがみついたということです。そして、時代の変遷を憎み、新しい世界を否定し、旧い世界への郷愁の中に閉じこもったことです。
特に私が犯した罪は、物質次元を経験するために波動が下がっていき、性が分離するという出来事が起きたときに、その流れに抗うべく、旧い正義・古い時代意識をなんとか死守しようとしたことでした。
そのことを思い出すきっかけになったのは、20歳のころに出会ったドイツ人の音楽家でした。
彼と私は、おそらく土星紀とかの古い古い時代からの知り合いであり、魂のグループとしても近いところにいたであろう仲間であり、多分ソウルメイトといってもいいのかもしれません。
よく一緒にいましたが、付き合っているというわけではないのに周りからは付き合っていると思われ、似ている、とよく言われていました。一緒にいても、やることはクラシック音楽のコンサートか遠足という健全な(笑)お付き合いでしたしね。
そんな彼と私の共通点は、今から思うと、幼い両性具有性です。ある種の天才性、いつまでも熟しない青い実のような清らかさを保ったまま、自分の殻から出ようとしない拒絶の姿勢でした。
それは、神や世界を積極的に否定するわけではないけれど、進化そのものを恨み・憎むという形での「悪」でした。
ちなみにその彼はオーボエの「元」天才少年で、ユースオーケストラなどではいつも賞を取っていながら、20代以降はなかなか次のステージに行けずにいました。その理由は多分、上記のような限界を抱えていたからなのでしょう。
昔、彼が出演した演奏会でドボルザークの「新世界より」第2楽章のイングリッシュホルンのパートを聞いていたとき、その郷愁が猛烈に刺激され、動けなくなるくらい心が揺さぶられたことがあります。
「新世界より」の第2楽章は、「家路より」のメロディラインのもとになった新世界であるアメリカのすばらしさ・雄大さを歌うパートの間に、嘆きにも似た切ないメロディラインが挿入されています。
※上の動画でいうと、4:28くらいから8:00くらいまでのパートです。
当時、私自身が自分の魂の古い過ちを知らなかった(気づかなかった)ときには、この嘆きにも似たメロディラインを聞いたとき、例の彼は、自分と同じ何かを持っている人だと強く感じてしまい、その後動けなくなるくらいの衝撃を受けました(共鳴というよりは共振に近いような感覚)。
しかし今、改めてこの曲を聞いて感じるのは、旧世界と新世界のはざまで立ち尽くしている子どものイメージです。
既に新世界に身を置いていて、その世界を肯定しその世界の理に沿って生きていこうとしているのに、魂のどこかに残る旧い世界への強い郷愁が邪魔をして足踏みをし、大人になれず(進化できず)にいる子ども。
そのあどけなさの残る子ども、それが、私(と彼)の中にいる「悪魔」だと思いました。
これまで私は、この子供がまるで「悪魔」の風貌ではないので騙されていましたが、進化を拒み、今という時代・ここという場所を否定する衝動はすべて、「悪魔」なのだと思います。
そして、私が転生のたびに占星術に触れる理由は、時代が移り変わることによって変わっていく時代意識を知り、そのことによって自分の中の「悪魔」を癒すためなのだと気付きました。
星が巡り、天の配置が変化すれば、理も変わるということを受け入れられなかった。そして、時代の流れに抵抗した。そのことで、紀から紀への移り変わりの時に、進化の正道から外れて転落した。これが私の中にある「悪魔」でしょう。
でね、この「悪魔」を癒していく方法なども、ここ最近ようやくわかってきたので、またおいおい書いていきます。※もしかするとタロットブログで、になるかもしれませんが・・・