コズミックマインド(翼ある思考)が潜在意識の恐怖からハートを救う~魚座の時代の終わりから水瓶座の時代のはじまりにむけて、恒星アルフェラッツと春分点から分かること
占星術やスピリチュアル業界では今の時代が水瓶座の時代であり、愛と光に満ちた時代になる、ということをよく言います。そして、その対比として魚座の時代は暗黒時代であるかのように語られることが多いです。
しかし、現実的には、2018年現在の春分点はまだ魚座にあり、私たちが生きる時代は魚座の時代です。まだ、ようやく水瓶座との境目に近づいてきたかなというところです。
より詳しく春分点がある位置を見ていくと、そこには今という時代を知るうえでとても重要なことが分かります。ここ最近(1970年代くらいから向こう70年くらい)の春分点は、恒星アルフェラッツ(Alpheratz)付近にあります。
この記事では、恒星アルフェラッツに春分点があるということが、どういう意味を持っているのかを分析していきます。
この記事の目次
恒星アルフェラッツとは? ペガサスの翼でありアンドロメダの額であったが、今はアンドロメダ座に属している
恒星アルフェラッツは、かつてはペガサス座の一部で、ペガサスの翼の先端にあたる星でした。秋の四辺形の一部を構成していた恒星です。
同時に、長らく恒星アルフェラッツは、アンドロメダ座の額にあたる位置の星であると言われていました。
つまり、恒星アルフェラッツは、ペガサス座とアンドロメダ座が共有している星だったのですが、1929年以降、恒星アルフェラッツはアンドロメダ座に属しています。
恒星アルフェラッツは、ペルセウスに象徴されるコズミックマインド(翼ある思考、高次の思考)の象徴
さて、恒星アルフェラッツというのは、いったいどういう星なのでしょうか?
この恒星アルフェラッツの意味を探るうえで欠かせないのが、ペガサス座やアンドロメダ座が出てくる神話をひもとくことです。
ペガサス座は、英雄ペルセウスがメドゥーサを退治したときに滴った血から生まれた有翼の馬だと言われています。ペガサスとは、ペルセウスがメドゥーサを退治し克服したことの象徴として生まれたものだと考えてよいでしょう。
以前、真夏のペルセウス座流星群の記事で、ペルセウスとミカエルは密接な関係があるという話をしました。
また、現在ではミカエルの時代と言われる時代になっており、特に思考の力が重要であるという話もしました。
ミカエルのアトリビュート(持ち物)と言えば「剣」ですが、これは強い意志と思考の力を意味しています。よって、ペルセウスもまた、強い意志と思考の力の持ち主であり、それがペガサスに象徴されるのです。つまり、ペガサスとは翼ある思考、コズミックマインドともいうべき高次の思考力の象徴なのです。
アンドロメダは人類(の魂)の象徴、海の怪物ケートゥスは過去のパターンを繰り返すコントロールできなくなった潜在意識の象徴
ご存知のように、アンドロメダは、海の怪物(くじら、ケートゥス)のいけにえに捧げられていたところを、ペルセウスによって救われます。
ペルセウスは、切り取ったメドゥーサの首をケートゥスに向けることによってケートゥスを石に変えてしまうことで、アンドロメダを救い出すのです。
ここで、アンドロメダというのは、目覚めつつある人類(の魂)の象徴だと考えてよいでしょう。
一方、ケートゥスは、非常に古い女神的なエネルギー、太古の・原始の女性的なエネルギーの象徴です。海の怪物であるということからもこの関連は分かりますし、ケートゥスにあたるくじら座が、メソポタミアの神話ではティアマトという原始の水の女神であったということからもこのことは納得できるでしょう。
今風の言葉でいうと、このくじら座のエネルギーは、私たちの潜在意識と言ってもよいのではないでしょうか。もっと言うと、コントロールの仕方が分からないと過去のパターンをただただ繰り返す潜在意識の象徴です。
春分点のある恒星アルフェラッツは、高次の思考の力によって人類が潜在意識の恐怖から解放されるという可能性と課題を示している
意志の力で恐怖に打ち勝ち、高次の思考の力という武器を手に入れたペルセウスは、まさにその力によってアンドロメダを救います。ケートゥス=潜在意識から、アンドロメダ=魂(目覚めつつある自我)を救うのです。
ペルセウスの救出劇では、メドゥーサの目に見られたケートゥスが石になったという描かれ方をしていますが、別の言葉腕言うと、その瞬間、アンドロメダは高次の思考の力(ペガサスの翼に象徴される)を受け入れたということなのです。
これこそが、恒星アルフェラッツがペガサスの翼でありアンドロメダの額にあったということの意味なのです。
そしてこの恒星アルフェラッツに春分点があるということからわかるのは、高次の思考の力によって、人類が潜在意識の恐怖から解放されるという可能性と課題が今の時代にはある、ということなのです。
恒星アルフェラッツがアンドロメダ座のものになった理由~コズミックマインドと一体になった新しい人類のハート
そして、もう一つ恒星アルフェラッツについて興味深いことは、1929年から恒星アルフェラッツが、ペガサス座とアンドロメダ座の共通の星ではなく、アンドロメダ座のものだけになったということです。
この流れは、1929年までは、恒星アルフェラッツに象徴される高次の思考の力は、ペガサスに象徴される「天界から与えられるもの」でしかなかったのが、このときからアンドロメダに象徴される人類自身のものになった、ということです。
このことは、コズミックマインドと一体になった新しい人類のハートの誕生が起きたことを意味しているのではないでしょうか。実際、ペルセウス(思考)は、アンドロメダ(魂、ハート)と結婚し一体になります。
ここで生まれたのは、非常にクリアな思考でありながら、温かみのある、ハートを伴う思考とも呼ぶべきものです。
私たちが生きるミカエルの時代は、思考の力が重要になるという話は何回もしてきましたが、ミカエルが私たちに要請している思考力というのは、冷たくて杓子定規な思考ではなく、ハートの温かさを伴う新しい時代の思考力なのです。
それは、潜在意識(ケートゥス)のドラマに翻弄されることもなく、それらをコントロールすることができる、静かだけれど優しい、新しい時代の人間の知性の方向性です。
ハートの温かさを伴う新しい時代の思考力によって変化した潜在意識(太古のエネルギー)から、新しい星と大地が生まれる
このサイトで以前、星々が人に語りかける時代から、人が星々に語りかける時代がやってくるという話をしました。
人が星々に語りかける時代というのをもっと詳しく説明すると、人が新しい星と大地と宇宙を創造する、ということです。
つまり、人が、神にも等しい・神と対等な存在として共同創造していくということです。
実は、今私たちが目にしている星々と大地は、かつてメソポタミアの神話ではマルドゥックとして描かれていたミカエルが作ったものだと言われています。
メソポタミアのマルドゥックの神話によると、太古の母なる女神であるティアマットと戦ったマルドゥックは、打ち負かしたティアマットの体から現在私たちが生きている星々と大地を作り出したと言われています。
そして、春分点が恒星アルフェラッツにやってきておりミカエルの時代がやってきている今、私たちは再びこのマルドゥック=ペルセウス=ミカエル神話を別の次元(より高い次元)で繰り返し生きています。
つまり、高次の思考力を受け取ったハートの力で、過去のパターンを繰り返すだけのコントロールできなくなった潜在意識を克服し、そのエネルギーの中から全く新しい世界を作る、という神話です。これが、昨今色々なところで目にする思考が現実化するという法則が可能になった霊的な背景なのではないかと私は思っています。
水は、神々の飲み物か、洪水か?~今は、水瓶座の時代をポジティブに生きるために必要な力を養う時期
さて、すべての時代は互いに連動しながら、前の時代から受け取ったものをもとに次の時代の準備を着々とすすめていきます。
そういう意味でいうと、今の時代は、魚座の時代の課題を果たしつつ、来るべき水瓶座の時代に向けて準備を進めている最中というところでしょうか。
改めて水瓶座に関連する神話を読み解くと、ガニメデスの神話と、デカリオンの神話が出てきます。
ガニメデスは、人間でありながら神々に愛され、神と同じ世界で生きるようになった少年であり、神々の飲み物を注ぐ存在になります。一方、デカリオンは、地上に洪水が起きるということを知ってあらかじめ洪水を避け、新しい人類の礎になりました。
2つの神話ともに水が出てきますが、一方の神話では水は神々の飲む不死の飲み物であり、他方の神話では人間を滅ぼす恐ろしいものとして描かれています。
水は、ティアマット=ケートゥスに象徴される太古の母なる創造的エネルギー、現在でいうと潜在意識のことです。
水瓶座の時代は、ある人にとっては洪水のような恐ろしい時代に思えるでしょうが、別の人にとっては神と同じような力を得ることができる創造的な時代に思えるでしょう。
この違いを作るのは、今表面的に言われている二極化云々や格差などではなく、高次の思考の力を受け入れたハートを持っているかどうか? そして、その力によって水(潜在意識)を制御し作り変えることができているかどうか? なのではないでしょうか。
もしも二極化や格差があるとしたら、それは春分点にやってきた恒星アルフェラッツが教えてくれるような高次の思考の力によってハートを恐怖から救い出し、潜在意識をコントロールして新しい世界を作ることができているか、できていないかの違いではないかと思います。
今は、このような意味でいうと、来るべき水瓶座の時代を洪水のような恐ろしいものではなく豊穣の時代として生きるための大切な準備期間なのだと思います。