「竜とそばかすの姫」~究極の女神性(魚座海王星)の開花と負の体験
先日、今話題の「竜とそばかすの姫」を観てきました~! もともと細田守監督の作品は好きなのですが、劇場で見てあっさり涙腺崩壊した(笑)
※同じ細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」についてはこちらで記事を書いていますw
色々分析してみると面白く(封切したの7月16日のエネルギーとか、主題歌を歌っているベル/鈴役の中村佳穂さんの星とか)、語りたいことはたくさんありますが、一つとても大きなテーマとしてこの作品を貫いているのが、究極の女神性の開花ということかなと思います。
究極の女神性というと、やっぱり魚座海王星ですよねー。この作品には、魚座海王星的なモチーフがちりばめられています。
水(海、川)に象徴される自然の残酷さと美しさ、癒えない悲しみ、歌、クジラ、母性との葛藤、などなど。
・・・でね。昨今の女性性解放って、割とポジティブを貪欲に積み重ねていくことを目指していますよね。
自分を満たそう、やりたいことをやろう、欲望に忠実になろう、楽しいことや美しいことを取り入れよう・・・って。
確かにこれはとっても大切なことだし、私自身も現実世界で幸せになるためにはこういう方向性で生きています。ただし、常にこの筋に沿っていく女性性解放が女神性の開花につながるかというと、残念ながら実はそうでもない(笑)
特に、「究極の」女神性は、決して正(陽)を積み重ねることでは達成できない。
なぜなら、正(陽)を積み重ねていく道では、ICとバーテックスと月を輝かせる方法オンラインミニ講座の関連動画でお伝えしている、水平方向の(動物的な)欲の充足しか達成できないからなのです。
美や豊かさや知性や強さ、その他もろもろの正の要素を貪欲に自分のものにすることは、確かに人間(動物)としては満足するでしょうが、女神的な要素を開いていくことはできない。
結局、女神性の開花には、動物的な充足を積み重ねることを放棄して、タロットカードの「吊るし(吊るされた男)」のように宙づりにされるような体験が必要で、そこから高次の植物意識(愛)を身に着けることによってしかないのでだろうなと思います。
だから、女神性の開花には、実は負の体験がとても大きく関わっているんですよ。その負の体験というのは、ちょっとした傷程度ではなく、辛すぎて、痛すぎて、人に語れないような負の体験ですね。
以前、昔のイタイ恋愛に絡めてこんな記事↓を書きましたが(笑)、女性は(男性と違って)世界を「知りたい」のではなく、世界に「なりたい」と思う、だからこの世界の穢れも体験したいと思っているという話を書きました。こういう負の体験がなぜ存在しているかというと、女性性のゴールである女神性に到達するためのひとつの位階だからなのでしょう。
でね。
この「竜とそばかすの姫」では、まさに!この女神性の開花と負の体験の関係性がテーマになっていると思いました。
この話では、主人公の鈴は田舎の冴えない女子高生で、仮想空間Uの中では美貌の歌姫ベルとしてすさまじい人気を博すようになります。この筋書きだけ見ると、現実世界では冴えない女の子がアイドルになるという一発逆転的な単なるシンデレラストーリーのようですが、そんな単純な設定ではないんですね。
ベルの歌には、その歌を聞くと誰もが「まるで自分のために歌ってくれている」と感じる魔法があって、だからこそのカリスマ的人気を持つのですが、この不思議な魔法がベルの声に宿っている理由は、鈴が幼いころに母を水難事故で無くしてから大好きだった歌を歌えなくなったという、トラウマ(傷)があるからこそなのです。
しかもその母の亡くなり方というのが、自分の子どもである鈴が行かないでと言って止めたのに、見ず知らずの名前も知らない子どもを助けるために増水する川に入って亡くなったというもの、ですから。
ある意味で言うと、この体験は鈴にとって母親に捨てられたという体験なのです。孤児としての体験ですね。
(そういう意味では、キロンが遠日点に滞在している今の時期に、この映画が公開されたというのもとても意味があることだと思います)
※キロンの遠日点通過についてはこちらに書いています~
鈴が抱えている心の傷は、単に母を失ったという喪失の悲しみだけではなく、母が自分を捨てたという深い悲しみ。
それは、「なぜ?」という答えがどこを探しても存在しない「なぜ?」なのです。
ー母さんは、なぜ私を置いて川に入ったのか? なぜ私と生きるよりも、名前も知らないその子を助けることを選んだのか? なぜ私は、ひとりぼっちなのか。なぜ、なぜ、なぜー
出典:竜とそばかすの姫 細田守著
現実世界の鈴は、とりたてて目立つわけではなく、普通の容姿、それどころかいつも下を向いている陰キャという設定。
でも、仮想空間Uでは、まさにこの答えの出ない鈴の悲しい「なぜ?」が、ベルとしての鈴にカリスマ的な魅力を与え、誰もが忌み嫌う竜の本当の姿を見抜かせ、そして何十億という人を泣かせる歌を歌わせることになるんです。
※ちなみに個人的には仮想空間Uは四次元だと思っています。四次元ってどういうものかについては、振り返りムーンノートワーク講座でちらっと説明したことがありますが、また別記事で書きますね。
鈴の悲しい「なぜ?」は、癒されることはなく消えない。母さんは帰って来ず、その理由は分からない。だけどその悲しい「なぜ?」が、彼女を竜のアバターの現実世界でのオリジンを救い出す衝動になるのです。
そして、映画のクライマックスで、名前も知らない子を助けるために川の中に飛び込んでいった母と同じ情熱を、鈴が自分の中に見出したときに、仮想空間Uの無数のASが感動の涙を流すんですね。そしてそのまま、鈴とベルが一体化する。
これねーーー、ビーナス(女神)の誕生ですよねーー。ボッティチェリのビーナス誕生で描かれているビーナスは裸ですが、これはすべての飾り(現実世界、三次元的な着ぐるみ)を引っぺがした後の心の在り方の美しさです。
このアニメは他にもいいキャラが多いんですよね。タイトルから見ると美女と野獣の翻案かなと思いますが、実際にはアンドロメダ神話が美女と野獣の物語を包み込んでいます。もちろんペルセウスはしのぶくんですねー。
この辺りの神話の話は長くなるのでまた別記事で書きます!
っていうかめっちゃはまったので今度はIMAX劇場で観たいなあって思っていますw
まだ観てない方、是非是非おすすめですよ~!