りんごの木の根には蠍の毒がある~17歳で亡くなった同級生の女の子とりんごの木の秘密、アリス・シーボルト「ラブリーボーン」
何か果物の木を庭か畑に植えようと思っているのですが、ちょうど今読んでいるSamael Aun WeorのIgneous Roseの中にりんごの木のエレメンタルの話が出てきたので、思い出したことがあります。
それが、17歳のときに亡くなった同級生の女の子のこと。以下、Sさんと呼びますね。
私たちは都内のある中高一貫の女子校の高校三年生の時に同じクラスでした。彼女は出席番号でいうと私の一つ前で、席も1つ前でした。私は毎日彼女の背中を見て勉強していたの。
・・・その彼女が亡くなったのは、5月のGW明けくらいだったと思います。実はSさんは、6月にクラス別で行われる合唱コンクールで私たちのクラスの指揮者でした。
私が通っていたクラスは受験に対して意欲的な人が多く在籍しているクラスで、はっきり言って合唱コンクールなんて「かったるーい」と思っている人が多かったんですよね。そんな中、合唱コンクールで指揮者に立候補したSさんは、練習に出席する人の少なさにピリピリしていました。正直、合唱コンクールなんてクラスの大半が無関心という状況の中、すごくまじめに頑張っていた。
やがてGW明けを迎え、学校に来た私たちに、突然担任の先生が、
「Sさんが亡くなりました」
と告げたんですね。
・・・この衝撃は非常に大きかったですが、それ以上に恐ろしかったのは、その後、いろいろな憶測や不安が渦巻くようなうわさが流れたこです。
曰く、「Sさんの遺体は一目とみられないひどいものだった」とか、「何かの犯罪に巻き込まれた可能性がある」とか、「Sさんのご両親が密葬にしたいと希望されている」とか、とかとか・・・。
合唱コンクールに向けてひたむきに練習を重ねていた健康な彼女が突然亡くなった理由や原因は、一切明かされなかったのです。
ただ、Sさんが亡くなったことで、合唱コンクールに後ろ向きだった人たちも、この曲をちゃんと歌おうと意欲を出し、伴奏者の子を代わりの指揮者にたてて、心を一つにすることができたのは確かでした。
この体験は私たち全員にとってものすごく大きな意味があったと思います。
突然生が断ち切られて、当たり前にやってくる明日を見越して計画していたことや予定したことが果たせず、命が失われることもあるのだということ、その残酷な事実を心の底に刻みつつ、受験生だった私は、自分の視界からSさんの背中が消えてしばらくすると受験のことの方で心がいっぱいになり、Sさんのことは受験に合格して卒業してからはずーっと忘れていました。
・・・その後、20代になってからある同級生がSさんの死の真相?を教えてくれました。
・・・それはとても痛々しいもので、女性として生きていることの無力さを感じるような恐ろしい死でした。あのような形で若い女性の命が奪われたということに、心の底から憤りを感じ、またこの世の無常を感じました。
ちょうどその頃(25歳くらいのとき)は私自身び精神が不安定だったこともあり、冷たい雨に打たれてアスファルトの上で横たわっている制服姿のSさんが夢に出てきて、そのSさんがいつの間にか私自身い入れ替わっているという恐ろしい悪夢をみたりもしました。
・・・今振り返って考えると、私たちの学校は都内の女子校ということもあり、何かその存在自体が邪な欲望のターゲットにされやすかったと思います。
私の学生時代(もう20年以上前だ!)は、特に女子高生を性的な対象として消費する闇のマーケット(ブルセラとか?)も出来上がっていたので、さまざまな犯罪や危険から生徒を守るために教育や指導が行われていました。
たとえば授業中突然トイレに行きたくなったら2人で行くとか、文化祭はチケット制で怪しい人を入れないようにするとか、他にもいろいろ、先生方が過去に遭遇した生々しい体験談を踏まえた対策が施されていました・・・。
ですが、学校の長い歴史(100年近く続く学校でしたので歴史が長い)を振り返って、こういう犯罪的なことに巻き込まれて亡くなる子は私たちの学年ではSさんだけでしたが、歴代の中でもいたし私たちが卒業した後もいたようです。
・・・というか、どれだけ気を付けようが何かの策を講じようが、ある一定数の女の子は、性犯罪の犠牲になるような世の中の仕組みになっているのではないか。
だとしたら、その仕組みの向こうに何かの理(ことわり)があるのか。
そんな絶望にも似た思いを心のどこかに抱えていたときに出会ったのが、2010年に公開されたアリス・シーボルト原作の「ラブリー・ボーン」です。小説自体は2003年には日本語版が出版されています。
この話は、14歳で主人公のスージーがレイプされて殺されてしまい、その事件をきっかけに自分の大好きな家族が崩壊しそうになるのを、天国(ただし、一種のリンボー的な幽界のような中間地帯。映画の中でスージーの弟が”inbetween”と呼んでいるように、完全な天国ではない)から家族や自分の親しかった人たちを見守るという話。
ロード・オブ・ザ・リングのピーター・ジャクソン監督が作った映画なので、天国の幻想的なシーンが美しくも恐ろしいの・・・。
なお、映画のタイトルにもなっている「ラブリーボーン(lovely bones)」は、「美しい骨」「愛すべき骨」のこと。
犯人のハーヴェイはスージーの遺体の入った金庫をゴミ捨て場(廃棄場)に捨ててしまうので、彼女が地上に残したたった一つのものである物理的な骨は永遠に失われたまま家族の元に帰ることはありません。
しかし、彼女が天国から家族や親しい人たちを見守ることで、徐々に家族が再生していき、もう一度深い絆で結ばれるようになった・・・それを、スージーは「自分が死んだ後に、人々をつなぐ絆=”lovely bones”が育った」と表現しています。
「ラブリー・ボーン」の物語の中で、見えない世界を見ることができるちょっと変わった女の子のRuthが出てきます。彼女は、死んだスージーの霊を見ることができる一種の巫女的な存在です。
その彼女があるとき心の中で思う台詞がこちら。
In moments like this she thought of all the little girls who grew into adulthood and old age as a sort of cipher alphabet for all those who didn’t. Their lives would somehow be inextricably attached to all the girls who had been killed.
こういう瞬間に彼女(Ruth)が思うのは、大人になり老いていったすべての小さな女の子たちは、そうではなかった女の子たち全員にとってある種の暗号アルファベットのようなものだ、ということだった。大人になり老いていった女の子たちの命は、すべての殺されてしまった女の子たちと、どういうわけか切っても切れない形で結びついているのだ。
Alice Seabold “The Lovely Bones”
Ruthは、たとえ殺されたという非業の死というものがあったとしても、そこに何かの理(ことわり)があるということを感じているわけです。
・・・その「何かの理(ことわり)」について、先日Samael Aun WeorのIgneous Roseを読んでいたら、りんごの木のエレメンタルに関する以下のようなパッセージが見つかったの。
We can sow harmony within homes with the elemental powers of this tree.
We can perform justice for many unhappy beings with the elemental powers of this tree.
A consort abandoned by his or her immoral spouse, a fallen young woman, an unhappy one abused by his or her spouse are cases that can be mended with the elemental powers of this prodigious tree, when the law of karma permits it.
……
Furthermore, the Lord Jehovah showed me the esotericism of the apple tree.
The apple is the incarnated flower that the beast devoured. The apple is the lamb and the beast is the pig of animal passion.
And the Lord showed me the apple tree, and behold, the poison of the scorpion within its roots.
And the Lord Jehovah showed me a column of white, pure, and immaculate light that was rising towards the heavens upon a plate of embers.
The apple tree is the Glorian, and the seven degrees of the power of the fire sparkle around it.
And the Lord Jehovah showed me a great mount and many masters of the White Lodge, each one beside his apple tree.
私たちはこの木(りんごの木)のエレメンタルの力を借りて家庭の中に調和をもたらすことができる。
私たちは、この木のエレメンタルの力を借りて、不幸な存在たちのために正義を行うことができる。
不道徳な夫や妻に棄てられた配偶者、堕落してしまった女性(売春婦)、夫や妻に虐待された不幸な人、そうした人たちは、カルマの法則が許すならば、このすばらしい木のエレメンタルの力によって癒すことができる。
……
さらに、我が主エホバはりんごの木の秘密を私に見せてくれた。
りんごは、野獣に貪られた花が受肉したものだというのだ。りんごとは子羊のことであり、野獣は動物的な情欲に取りつかれた者のことである。
そして主は私にりんごの木を見せて、注意せよ、りんごの木の根には蠍の毒がある、と言われた。
我が主エホバは、燃えつきた熾火を乗せた皿から白く純粋な無垢な光の柱が天国に向かって伸びている様を私に見せた。
りんごの木は神の臨在であり、その周りを7つの位階の炎の閃光の力が取り巻いていた。
そして、我が主エホバは、大きな丘とホワイトロッジのたくさんのマスターたちの姿を私に見せた。それらのマスターたちのそばには彼ら自身のりんごの木が寄り添っているのだった。
The elemental of apple tree – Samael Aun Weor “Igneous Rose”
つまり・・・人は長い転生のどこかで、無残にも自分の性を搾取されて純潔を散らすような体験をすることがあるということ。りんごの木は、そのような犠牲の結果として生まれるものだということ。
そして、マスターと呼ばれる存在たちがすべて「自分のりんごの木を持っている」ということは、マスターたちは長い転生のどこかでそのような痛ましい体験(試練)を全員経験しているのだということ。
しかし、まさにそうした犠牲的な経験の中から生まれる「りんごの木」の調和の力が、傷ついている人たちの癒しにつながるのだということ。
「ラブリーボーン」で14歳で死んでしまったスージーが持つ、自分の家族と親しい人たちの間に調和をもたらし絆を回復させた力は、おそらく痛ましい体験の中からしか生まれない「彼女のりんごの木」から放たれる力だったのではないでしょうか。
そして・・・このような言い方が許されるならば、17歳で死んでしまった同級生のSさんの魂もまた、そのような形でしか生まれない何かを生み出すために、あのような非業の死を体験したのではないかと思います。少なくとも、意味もなく無残に死んだのではないと私は思いたい。
大人になって恋をして結婚したり子どもを生んだりして老いていくすべての女の子たちと、殺されてしまってそうできなかった女の子たちが切っても切れない形で結びついているということは、救いでもあり恵みでもあり、そして悲しいけれど美しいこの地球の神秘の一つなのかもしれません。