日本における3回にわたる武装放棄をシュタイナーが指摘した霊的に重要な日付に基づいて考察する。日本における原子力・核のイベントを深掘りする その2
前回、シュタイナーがミカエルの時代の始まりだと言った1879年から、ゴルゴタの秘儀以来地球において個人的なカルマによらない歴史的に重要な出来事が33年後に結果として結実するという33年サイクルを追いかけていくと、日本の歴史の重要局面、特に核や原発、地震に関する事件と重なり合うという話をしました。
つまり、
1879年 ミカエルがアーリマン的龍に勝利し、龍を地上に落とす(ミカエルの時代の始まり)
(日本)日本国憲法公布、明治政府、明治時代の始まり
1912年 シュタイナーが神智学協会から独立してアントロポゾフィー協会を設立
(日本)大正デモクラシー、文化政治の発展、参政権の拡大
1945年 第二次世界大戦の終結
(日本)広島、長崎への原爆投下 ※1944年~1945年、日本における4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)
1978年 米中国交正常化合意達成,米・エジプト・イスラエル3カ国間での中東和平の基本的枠組及びエジプト・イスラエル間の平和条約の枠組に関する合意,米ソ間の戦略兵器制限交渉(SALT)の進展
(日本)日中平和友好条約締結
2011年 アラブの春(アラブ諸国の民主化運動)、欧州経済危機からの欧州共同
(日本) 東日本大震災、原発事故、TPP交渉開始
という感じで33年サイクルが進展しているということですね。
※もっと細かく見ていくと他にもいろいろあると思いますがとりあえず。
さて、今回の記事では、日本において3回にわたって武装放棄をする動きがあり、その3回の動きがそれぞれ、シュタイナーが指摘している重要な霊界でのイベントに対応しているという話をしたいと思います。
まず、16世紀末ごろ、火星領域があまりに荒廃していたため、霊界における話し合いの結果、火星において仏陀が供犠を行い、火星の闘争的な魂を鎮めるという出来事が1604年(17世紀)にありました。
※この辺りの話は西川先生のシュタイナー仏教論集に記載されています。
日本では戦国時代が終わり天下統一が行われ、1603年に江戸幕府成立。その後250年余にわたって内戦のない時代になりました。
この江戸幕府による天下統一の直前、1575年、1588年と、柴田勝家、豊臣秀吉によって刀狩令が出されました。特に1588年の豊臣秀吉による刀狩令は武士階級以外の帯刀を禁止するというものでした。ここで私は、秀吉が崇高な目的をもって刀狩を行ったと言いたいわけではありません。秀吉は自分の天下統一を強力に推し進めるために、特定の階層だけが武装する体制を作りたかったわけですから。しかし、秀吉個人の思惑を超える大きな何かがここに働いているように思えます。
やがて時代は下り、1879年のミカエルの時代の始まり、ミカエルが龍との戦いに打ち勝ってアーリマン的な龍を地上に落とすというイベントがありました。
そのころの日本は明治維新の頃。
幕末は世が乱れ、不穏で治安の悪い時期が続きます。辻斬りや人斬りなどがあった時期ですね。。。
やがて明治政府により、1876年、廃刀令が出て武士階級が刀を放棄し、警官や明治新政府の官軍のみが武器を所持してよいということになります。※これに対する武士たちの不満が西南戦争の一因とも言われています。
ここでもまた、1879年の重要な霊界でのイベントに合わせて、日本で武器を放棄する動きが出てくるのが興味深いと思います。
そして、日本の3回目の武器放棄は、1946年の日本国憲法の成立、憲法9条戦争放棄です。1879年から2回目の33年サイクル、66年後の1945年の第二次世界大戦の敗戦の後に成立したこの憲法は、他国に類を見ないものです。
もちろん、この憲法成立は日本人主導ではなく、GHQの思惑が入っており、戦後のGHQ統治下で行われた憲法成立には純粋な動機だけがあるとは思いません。何より、現実的に日本で軍備がゼロの状態であるわけではないので、この憲法9条を全肯定する意図は私にはないのですが、このような憲法が世界ではじめて成立したということには意味があると思います。
まとめると、
17世紀初頭 火星での仏陀の供犠
日本では刀狩令
1789年 ミカエルの時代の始まり
日本では廃刀令
1945年 第二次世界大戦終了、広島、長崎への原爆投下
日本国憲法成立、第9条
秀吉の刀狩令も、明治政府の廃刀令も、戦後の憲法の戦争放棄も、その行為の主体自体や成立の経緯に純粋に崇高な意図があったとは思わないですが、結果として日本の国の平和意識、治安の良さにつながる動きを作っていることは確かだと思います。
さて。こうして「放棄」された火星のエネルギーは、どこへ行ったのでしょうか?
私は、日本において放棄された火星のエネルギーは、同じカテゴリのより精妙な領域へと高められて活用されていると思います。
火星の管轄する領域としては、争いや闘争以外にも、科学技術、スポーツ、手術など外科的な医療なども入ります。また、現代では経済戦争という言葉があるように、現在では経済界自体が戦争の現場であるとも言えます。
その観点から日本文化を見直すと、たとえば、日本特有の文化である剣道や弓道などもそうですが、外側に向ければ攻撃と破壊を生む武器(火星)エネルギーを、内面を掘り下げる集中と修養に変換させていまると言えます。
日本の戦後の経済発展と復興、科学技術の進展、そして(国家的政治的意図から完全に自由とは言えないにしても)技術と資金提供を通じた平和的な国際協力もまた、変容した火星のパワーの使い方であるとも言えます。
こうしてみていくと、日本には、自身の持つ火星的なエネルギーを打ち砕かれたり、あるいは火星的なものからの悲惨な攻撃を受けるたびに、その火星のエネルギーを変容させていくしなやかさを発揮していることが分かると思います。
日本が危機的状況が起きる度に示してきた怒りや恨みや争いのエネルギーを昇華させて進化させていく強さは、17世紀以来火星領域から流れてくる仏陀のエネルギーが支えになっているのではないでしょうか?
・・・このように考察していくと、2011年に起きた原子力や核に関係する事故に関して日本は、おそらく、単なる核放棄や原子力技術否定ではなく、もっと深く内側からこの新しい技術とその弊害に向き合い、乗り越えていくのではないでしょうか?