日本古代の転生での魄(はく)を回収する旅。その10~ギリシア神話の巨人族と天津甕星&神々や精霊と付き合うことの難しさ
日本古代の転生に関するスピリチュアルジャーニーその10です。当初4~5記事にしようと思っていたのに、やたら長くなっています(笑)
※前回はこちら
とある巫女から「三輪山に行ってそこのおおもとのエネルギーにつながりなさい」と言われたことをきっかけに、「甕(みか)」のつく神である天津甕星を追いかけて、日立にある大甕神社に行くことになりました。
私は車の運転できない(ペーパードライバーです、汗)ので、スピ友のお姉さまに頼み込んで連れて行ってもらいました。
この旅はのっけから、以前三輪山に行ったのと全く同じかそれ以上の大雨になり、高速道路を走る車が左右に揺れていて超怖かったです・・・。
※三輪山に行った時のことはこちらに書いています。
この旅は、大甕神社、大洗と、北関東の太平洋側をまわり、さらに直感的なインスピレーションで磐座や聖地を巡る旅でした。
大甕神社で感じたのは、ギリシア神話に出てくる巨人族のことです。
巨人族として描かれる古い神の時代を、ギリシア神話では黄金時代と呼びます。その後、ゼウスなどのより人間らしい神々の時代が来るわけですが、ギリシア文化は、この失われた黄金時代に対するある種の憧憬から花開いた文化です。
大甕神社では、巨大な「宿魂石」というものがあって、これが巨大な神と言われた天津甕星である香香背男そのものであり、その上にちょこんと征伐した神が祀られています。そう、征服され土台になっている古い神、それが天津甕星なんだろうな・・・と思いました。(※なお、後に大甕神社で受け取ったギリシア神話との類似性が深い意味を持つことに気づきます)
・・・しかし同時にこの旅を通じて別件で私が強く感じたのが、自然に宿る神々や精霊の存在からの呼びかけでした。端的に言うと、こうした存在たちととどこまで深く付き合うべきか?という線引きでした。
・・・実は、帰りに気まぐれにある神社に行ったとき、その横にちょっとした山があり、その山に登った時のことです。※同行者は置いてもちろん一人で行きました。
その小高い山を登っていくにつれて、なんか風がすごく吹いてきて木々がうなっている感じがしたんです。
呼ばれているというのはこのことか・・・と思いつつ、頂上間際のある場所まで来たときに、
「あ、ここから先足を踏み入れたら私は人として帰ってこれなくなる」
と強く感じるところがあったんですね。
その場所というのは、ちょうど山の頂上近くで木々の向こうに空が見える場所で、はっきりと開けた感のある場所です。私はそのちょうど手前の境界線のところまで来ていました。
・・・私が山に入ってからずーっと風がざわざわ吹いて、木々が誘っていることは分かりました。
何より風の吹く方向がおかしいんです。私の背中を押すように、頂上に向かって誘うように風がうなって吹いていました。
でも、果たして私がなりたい自分というのは、この、人ならぬ者たち(精霊、神々)が待っているあちら側の世界なのだろうか?
すごく迷って逡巡して、結局私は一線を超えずに引き返しました。
・・・後で車の中で待ってくれていたお姉さま曰く、「ともえちゃんが山に入ったら急に風がざわざわ山のところから吹いてきて、すっげー不思議だった。しかもその風さ、あの山の付近だけにしか吹いていかったよ。この駐車場の辺りは全然風吹いてないのに、山自体が風になっていたみたいだった」とのことでした。
・・・そう、何かこう、向こうの次元から私を見ている存在がいて、私を試しているような存在がいたんですよね。
結局、この巡礼の旅で神社から磐座から色々回りましたが、こういうギリギリなところでのお誘いには乗らずに、手前で引き返して東京に帰ってきました。
その直後のことです。お世話になっていたチャネラーさんのところに行ったら、「今、色々なところに行っているみたいだけど、そこにいる存在たちとどう付き合うつもりなの?」と聞かれたんですね。
そして、真剣な顔でその方に言われたのが、「あなたは、力が欲しいの?」と・・・。
そう、この旅の最中ずーっと、自然霊、神々、精霊たち、いわゆるシャーマン的なスピリチュアルの次元がつながる世界で、何かこういう存在たちと「契約」することで「力」を得るみたいな、そういう勧誘が来ていたのですね・・・。
・・・ただ、私はこういう存在たちと契約して力をもらって、彼らとともに生きるシャーマンになりたいとは思わなかった。
私に三輪山に行くことを勧めてくれた方もちょっとそういう感じの巫女体質(シャーマン体質)の人でした。
実のところ、私自身が三輪山に行くことを怖れていた本当の理由は、過去生そこで死んだからとか殺されていたからというよりは、「また過去生と同じようなこと(神々や精霊と契約を結んでシャーマン的な活動をすること)をしても、その先に私という魂の進化や満足はないのではないか」という根深い疑問があったからです。
なぜなら、精霊、自然霊、いわゆる神々というのは、高貴な存在ではありますが、道徳心はないのです。
ここでいう「道徳心」とは、いいことをしましょうとか、こういうことはダメとか、そういう地上的な道徳心ではなく、この世界がどういう計画のもとに進化発展しているかを深く理解し認識し、その世界の進化発展に貢献するという道徳心です。
彼らは自然を保持し、自然を破壊する者に対して怒ります。しかし、世界の進化発展の計画に対しては必ずしも理解が及んでいない。
特に、人間という存在がこの世界の進化発展に関してどういう役割があるか(ある意味では自然を破壊してまでも人間が達成しようとするものがあり、それを宇宙が許している理由)を必ずしも理解していない。
たとえると、「もののけ姫」で、最高神であるシシ神様が、森を守ろうとするイノシシの長であるオッコトヌシを助けず、人間であるアシタカの方を助けた理由を理解できないのが、精霊や神々でもあるということです。
※すっげー余談ですが、人類と地球の古い古い物語については、こちらの動画でまとめています。人間は、一見すると非常に地球にとって害をなす存在ですが、人間にしかできない役割があるという話でもあります。
だからこそ、こうした(必ずしもすべてを理解しているわけではない)精霊や神々の「下」に入って「自然は大事だ!」とか言って使い走りをするならと、たとえシャーマン的な感性は開いたとしても、人間としての私の魂の進化成長はむしろ遅れるし、ある意味では世界を動かす摂理に反する行為なのではないかと感じました。
・・・というわけで、ここでいったん、私は「呼ばれたからどこそこへ行く」系の行動は止めることにし、三輪山に行くのも中断しました。
私は、自分の「なぜ?」に対して人間として自分なりの答えを出したかったのです。
だから、ここからは日本古代の巡礼にはいったんピリオドを打ち、あくまでの自分自身の心の傷の方にフォーカスして、癒しと成長のためのワークを進めることに集中していました。
外側の誰かに依存するのではなく自分で答えを出していくことが大切だと思ったので、自立したスピリチュアルなワークを求めるようになりました。そして、その間に天使たちとの関係性が深まっていき、やがて最初に出した天使の本とも出会うことになります。
まあ、巡礼の旅をいったんやめたのは、この本の翻訳作業がめっちゃ忙しかったということもあります・・・。
というわけで、色々な事情から私は、大甕神社でのインスピレーションを心に秘めたまま、一度聖地を巡る旅をお休みすることになります。
しかし、自分が動かないなら向こうから動いてやるというのか(?)不思議な一本の電話が鳴り響きます・・・。