キロンは、常世(死者の世界)との適切な関わり方を知るための「鍵」~「すずめの戸締まり」と天王星以遠の領域
さて、秋分の直前に、新海誠監督の新作アニメ「すずめの戸締まり」の情報がバーっと入ってきて、これが、今準備しているキロンの講座のテーマや、季節感とも関わっているので、ちょっとヲタク的に語っていきますねw
・・・私は今結構古い古民家に住んでいますが、この古民家に住むようになってから当たり前に死者の気配を感じるようになりました。
※うちの古民家はほんと、いろんなものが住んで(棲んで)いますw 座敷童とか・・・
とはいえ、死者の気配といっても、何かを霊視したとか、おどろおどろしいものというよりは、当たり前に死んでいる人たちが一緒にいるという感覚を持っているという意味です。
座敷童のいる次元とか、先祖の霊がいる次元とかが、普通にリアリティがある多次元的な状況だと思うのです。
とはいえ、確かに多次元的なものを感じやすいけれど、その次元同士が悪い形で干渉しているという感じはないのですよね。
それはおそらく、滋賀県のこの辺りは浄土真宗が盛んで、浄土真宗ではなんと50回忌まで法事をする文化もあるからかもしれません。
なぜなら、こうやってしょっちゅう法事が行われるため、死者を想起する機会がとてつもなく多いことによって、死者たちに対して適切な供養がなされているからかなと思うのですね。
そして、季節のお祭も盛んなので、自然霊や精霊、天使や妖精との良いつながりを適切に持てている地域なんだろうなあと思います。
最初私はこういう法事を、なんか時代遅れだなー(お寺のビジネス?)とさえ思っていましたが、今用意しているキロンのテーマに関連して死者たちと私たち現世の人間たちとの関係性を考えると、こうやって地上に生きている私たちが、適切な形で死者と関わり続けることは、単なる儀式以上のものがあると感じるようになりました。
※キロンは、死後の生、安らかな死もテーマに含まれています。
そんなことを思っていたら、ちょうど、新海誠監督の新作の「すずめの戸締まり」の情報が入ってきました。
なんとこの作品、3.11や災害と「常世(死者の国)」の関係性を扱っているのですよ。
そして、「戸締まり」、つまりこうした「常世」に対して開かれた扉を閉めるということがテーマになっているのもとても面白いと感じました。
なにより、キロンって、そのマーク的に「鍵」になぞらえられることが多いですが、
「すずめの戸締まり」においても、鍵がとても重要なキーファクターなのです。
これは・・・!と思いまして、アニメが待ちきれなかったので、原作小説を読んでみました。
「すずめの戸締まり」のあらすじはこちら:
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、
「扉を探してるんだ」という旅の青年に出会う。
彼の後を追うすずめが山中の廃墟で見つけたのは、
まるで、そこだけが崩壊から取り残されたようにぽつんとたたずむ、
古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…
やがて、日本各地で次々に開き始める扉。
その向こう側からは災いが訪れてしまうため、
開いた扉は閉めなければいけないのだという。
―――星と、夕陽と、朝の空と。
迷い込んだその場所には、
すべての時間が溶けあったような、空があった―――
不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる。
公式サイトはこちら
ちなみに、扉の向こう側にあるという「すべての時間が溶けあったような、空」つまり「常世」は、ある意味では天王星領域(トランスサタニアン領域)です。
ジェフ・グリーンの進化占星術の考え方では、天王星は個人のすべての記憶、過去現在未来のすべての時間を含むとされています。そして、海王星は人類の集合的なすべての時間を含みます。
そして、振り返りムーンノートワークに参加してくれた方々にはお伝えしたことがありますが、ゼウス世代の時間の流れ方(過去から現在へ、現在から未来へと流れる普通の時間)と、クロノス世代の時間の流れ方(未来から現在へ、現在から過去へと流れる時間)の2つがあり、その2つの潮目に当たる部分にウラヌス(天王星)の時間、つまり超時間的な領域(過去・現在・未来すべての時間が同時にある場所、すべての創造の種が眠っている領域)が開けてきます。
もともと天王星つまりウラヌスは、すべての神々を創造したと言われており、生殖的な力の強さも強調される神。
一方で、ウラヌスとガイアの関係性(ウラヌスがガイアに暴力をふるう)を見れば分かるように、ウラヌスの力というのは、地上的な感覚では簡単に受け止めることができないある種の制御しがたい力をも象徴しています。
ドイツ語で「力」に相当する単語は2つあり、1つ目はMacht(マハト)、2つ目はGewalt(ゲヴァルト)です。2番目のGewalt(ゲヴァルト)というのは制御できない力のことを示しますが、まさにウラヌスの力は制御できない力なのですね。
・・・話を「すずめの戸締まり」に戻しますと、主人公のすずめたちがなんとか戸締まりしようとしている扉の向こう側にある「常世」とはまさにこのウラヌス的な領域で、そこは暴力的なまでの生命力が噴出してくる場所でもあるのです。このアニメでは、噴き出してくる力を「ミミズ」と表現していましたが、まあ言ってみれば「龍」ですね。
そして、この常世=ウラヌス的な領域の扉を意志の力を持って戸締まりする、というのがこのアニメのテーマになっているのです。
同時に、この世の秩序を維持するための供儀(犠牲、人柱)もテーマになっていて、新海誠監督の他の作品である「天気の子」とも同じモチーフが出てきます。
これが・・・なんかめっちゃキロンですw
というのが、キロンの軌道は土星と天王星の間にあるのですが、土星がいわゆる目に見える世界(この世)だとしたら、天王星は常世(あの世)であり、この2つの天体の間を、どちらにも完全に属することができないまま葛藤しながら行ったり来たりするのがキロンの本質なのですよ。
そして、新和の最後でキロンは死ぬことによって自分の不死性をプロメテウスに託しますが、Richard Tarnusという占星術師によるとプロメテウス=天王星だと言われています、
これは、私たちが天王星意識に到達するためには、内なるキロンが「死ぬ」ことが必要なのだということを言っているのではないかと思います。
天王星は、水瓶座の時代の到来に伴ってますますその存在感を増していると言われていますが、天王星領域は、ある意味では抗いがたい力、Gewalt(ゲヴァルト)としての力を噴き出してくる場所でもあります。
天王星的な力は、私たちに自由と、革命と、進化を与えてくれます。
しかし、自由には毒が伴うように、進化前進には痛みが伴う、というのがこの世界の仕組みなのかもしれません。
そして、こうした世界の残酷な真実を知りながら、底辺から、裏側から、時に犠牲を払って支えている名もなき人々がたくさんいるのかもしれません。
大切なのは、人が「常世」に対して決して安易な態度で踏み入ろうとせず、しかし無視したりなおざりにせずに意志の力を持って関わり続けること。そう、人が常に死を思い続けることなのでしょう。
「閉じ師」の草太の家系は、代々「常世」に開いてしまった「扉」を鎮めながら閉じることを職業としてやってきていますが、人がいなくなってしまった場所では、人の思いの重さがないから「常世」の扉が開きやすいのだと言います。
・・・個人的には、小説版「すずめの戸締まり」の最後で新海誠監督が書いていた「あとがき」がめちゃくちゃ響きました。
僕にとっては三十八歳の時に、東日本で震災が起きた。自分が直接被災したわけではなく、しかしそれは四十代を通じての通奏低音となった。アニメーションを作りながら、小説を書きながら、子供を育てながら、ずっとあたまにあったのはあの時感じた思いだった。なぜ。どうして。なぜあの人が。なぜ自分ではなく。このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。-そんなことを際限なく考え続けてしまうことと、アニメーション映画を作ることが、いつの間にかほとんど同じ作業になっていた。あの後も世界が書き換わってしまうような瞬間を何度か目にしてきたけれど、自分の底に流れる音は、2011年に固着してしまったような気がしている。
・・・話が長くなりましたが、私たちが自由を謳歌する天王星意識に触れようとすればするほど、「常世」の扉は開きやすくなり、そして私たちには責任が伴うのではないかと思います。
そしてそのためにこそ、キロンのテーマにおいて私たちが苦しみ、傷つくという体験があるのかもしれないと、私は考えています。
キロンが苦しむからこそ、私たちは慎重にかつ責任感を持って、天王星の向こうの領域の力を使えるのかもしれません。
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