タオとシュタイナー。Vril=TAO、来るべき時代に人類が使うようになる古くて新しい「植物の力」。その2

高橋ともえ

シュタイナーって西洋人じゃん!と思いきや、様々な国の文化文明についても造形が深いのですが、実は東洋人の我々にとってとても重要なタオ(道)についても面白いことを言っているのですね。といっても、通常の定義とは少し違う形でタオを理解していました。

シュタイナー曰く、タオは、来るべき時代に人類が使うようになる古くて新しい「植物の力」(Vril)のことだというのです。

タオとシュタイナー。Vril=TAO、来るべき時代に人類が使うようになる古くて新しい「植物の力」。ちょい前の話ですが、ヒルデガルトと出会ったときからずーっと私が気になっているのが、ヒルデガルトがとても重視したVeriditas(緑の力...

上記の記事に続き、タオについてシュタイナーが語っている言葉をさらに引用してみます。

アジアに目を向けると、超古代の宗教の残滓を見つけることができます。もっとも、この場合の「宗教」とは、今日われわれが思うような宗教観では測れないものです。この宗教は、不思議な中華文化の中に見出すことができます。[…]私がここで話題にしているのは、超古代の宗教の残滓、つまりTAO(タオ)教(道教)です。これは、人々がタオに依拠していた宗教です。

タオは、ゴールまたは道と呼ばれます。しかし、この翻訳の意味に固執すると、タオ教として呼ばれるこの宗教をはっきりイメージすることができません。

タオとは、数千年前人類の大部分にとって、最も高次の存在を示す言葉でした。そして、今でもなおそういう言葉として理解されます。この最も高次の存在とは、人類が仰ぎ見ることができるものであり、世界と全人類がかつてそこからやってきたと考えられていた存在です。そして、この最も高次の存在は、人間が萌芽として内側に備え、いつの日か成熟した花として人間の内奥から咲き誇るようになるものです。深く隠されたところにある魂の底であり、同時に崇高な未来、それがタオなのです。タオとは何を意味にしているのかを知る者は、おずおずと畏敬の念をもってタオという言葉を口にするだけではなく、タオについて考えます。

タオ教は、進化の法則に依拠し、このように語ります:

今日私の周りに存在しているものは、いずれは克服されることになるステージ(段階)である。そして、私は以下のことをはっきりと認識していなければならない。目下私自身が身を置いているこの進化段階には、ある目指すべきゴールがある。そして私自身は崇高なゴールに向けて発展していくことになる。私の内側にはある力が生きていて、その力は私を鼓舞し、大きなゴールであるタオへと至らしめるものである。この大いなる力を自分の中に感じ、すべての存在たちが私とともにこの大いなるゴールへ向けて邁進していると感じるとき、そのようなときには、私にとってこの力は道を示す力(操舵力)となる。

つまり、私に向かって風の中から吹き返す力であり、石の中からこだまを返す力であり、雷の中から照らし返す力であり、雷の中から反響する力であり、太陽からその光を送らしめる力である。植物の中においては、この道を示す力は、成長力として現れ、動物においては知覚力と認識力として現れる。この力は、次々と形を変えながら彼の崇高なゴールへ向けて常に高みへと上り詰めようとする力である。この力によって、私は神羅万象と一つになることがでる。この力は、吸う息ごとに私に流れ込み、吐く息ごとに私から流れ出る。この力は、進化し続ける最高次のスピリットのシンボルであり、私はこの力を命だと感じる。この力を私はタオと感じる。

・・・このタオ教においては、この世とは別の彼岸にいる神というものは全く話題になりませんでした。世界の外側にいる何らかの存在について語ることはなかったのです。そうではなく、このタオ教においては、人類を進歩させるための力を見出せる何らかの存在について語っていたのです。

人間がまだ神的な源とつながっていた時代、特にアトランティス人の間で、タオは正しく感じられていました。こうした我々の先祖たちは、現代のように高度に発展した悟性をまだ有しておらず、現代人のような知性は持っていませんでした。しかしその代わりに、こうした先祖たちは、どちらかというと夢のような意識状態と、どちらかというと本能的に高められた表象生活と、あまり打算的ではない思考生活を有していました。夢が、有意義であり、混乱させるものではなく高められたものであると想像してください。そして、人の魂からこうした夢のイメージが立ち上ってきて、そのイメージが、ある感覚を告知します。その感覚とは、自分自身の魂の中にあって身の回りを取り囲んでいるものすべてを反映しているという感覚です。

こうした古代人の心魂世界は、今日の我々の心魂世界とは全く異なるものだとイメージしなければなりません。今日人間は、環境(外側の世界)を可能な限り正確に思考しイメージしようとします。これに対して、古代人はシンボル的、象徴的な思考をします。そしてこの思考は、古代人にとって自分自身の中で完全に生きたものとして現れてくるものなのです。

今日、ある人間と対峙し、その人をどうにかして理解しようとするとき、つまり、その人が良い人間か悪い人間か、賢い人間か愚かな人間かを把握しようとするとき、その人間の外的な部分に可能な限りドライなやり方で対応するような概念を得ようとするでしょう。しかし、古代のアトランティス人の場合決してこういうことはなかったのです。こうした古代人の場合、何らかの悟性による概念ではなく、イメージが湧き上がってきたのです。もし悪しき人間と対峙するならば、古代人の心には、曇って暗いイメージが湧き上がってきたのです。しかしながら、こうした認識が何らかの概念になることはありませんでした。いずれにせよ、古代人は、このイメージに従ってふるまいを決めたのです。もし、夢見るような状態のときに自分の魂の前に明るくて美しいイメージが湧き上がれば、こうした存在に対して信頼を寄せてもいいということが分かったのです。そして、黒かったり赤かったり茶色い色のイメージが湧き上がるような場合には、そのイメージには恐れを抱いたのでした。真理とは、理解したり知性で把握するものではなく、インスピレーションのような形でもたらされるものでした。

古代人は、こうしたイメージの中に働いている神性をまるで自分自身の内側に存在しているもののように感じたのです。古代人は、風のそよぎの中に、風のささやきの中に神性さが現れると感じていました。そしてまた、古代人は、自分の内なる心魂生活の中にも、もしその崇高な人類の未来を垣間見るようにと自分を促すのであれば、そうした神性を感じていました。そして、まさにそうした神性を古代人はタオと呼んだのです。

GA265より引用・拙訳

・・・ということで、めたくそ長い引用ですいませんww
でも、端折れなかったので書いてみました。

なんか、この文章全体を読むと「ああ、タオってこんな感じよね~」というのがわかるんじゃないかと思いました。

特に、

[タオとは]私に向かって風の中から吹き返す力であり、石の中からこだまを返す力であり、雷の中から照らし返す力であり、雷の中から反響する力であり、太陽からその光を送らしめる力である。

この辺りは、八卦の中に出てくる自然現象を思わせるパッセージですね。

とはいえ、じゃあ、シュタイナーの言う上記のようなタオ観が、そのまま現在東洋人、特に東アジア文化圏の人間が理解しているタオとイコールかというと、そういうことはない、と私は思います。

その根拠になるのが、上の長い引用の中で赤字にした箇所です。
もう一度引用してみます。

今日私の周りに存在しているものは、いずれは克服されることになるステージ(段階)である。そして、私は以下のことをはっきりと認識していなければならない。目下私自身が身を置いているこの進化段階には、ある目指すべきゴールがある。そして私自身は崇高なゴールに向けて発展していくことになる。私の内側にはある力が生きていて、その力は私を鼓舞し、大きなゴールであるタオへと至らしめるものである。この大いなる力を自分の中に感じ、すべての存在たちが私とともにこの大いなるゴールへ向けて邁進していると感じるとき、そのようなときには、私にとってこの力は道を示す力(操舵力)となる。

この赤字で示されている個所では、はっきりと「進化(変容)」(すべてのものは今よりもより一層高められていく)という考えが語られています。しかし、易や風水などの源にある東洋思想においては、「変化」(無常、万物流転的な常にぐるぐると変化して姿を変えていく)はあっても、「進化(変容)」という考えはないのです。

というか、おそらく徐々に時代が下るにつれて、ある必然的な理由から、今日残されているタオの思想の中に「進化(変容)」という要素が抜けていったのではないかと思います。その代わり、数千年にわたって、このタオの思想が中国をはじめとする東アジア文化圏に形を変えたりゆがめられることなく「保持」されることになりました。

なぜなら、未来において、もう一度「進化(変容)」という要素を持った別の潮流(衝動)と合流して、もう一段高いところで完成するために。

そしてそのもう一段高いところで完成した形態とは、以前私が宮本武蔵の話に絡めて書いた「剣を持ったまま鳥の声を聞く」状態といってもいいかもしれません。

剣を持ったまま鳥の声を聞く。真剣勝負とは、周りのすべてのものを取り込むこと。最近東洋の占い(易)の勉強が佳境に入ってきて、日々勉強しながらブラッシュアップを続けています。今日の個人セッションでも裏メニューとして少...
月に4回程度配信中・最新情報はメルマガから
Zoomセッション&メール鑑定 全国海外どこからでも受けられます

個人セッション・コース・メール鑑定

リリースしたらご案内を差し上げます

今後リリース予定のオンライン講座

ABOUT ME
高橋ともえ
高橋ともえ
星読み風水師
1981年生まれ。 魂の可能性を緻密に描き出すドイツ系西洋占星術と陰陽五行説に基づく日本の卍易風水を組み合わせて「魂の高揚感を地に足をつけて楽に生きる」お手伝いを講座やセッションを通して提供しています。 訳書に、『ヒーリングエンジェルシンボル』(ヴィジョナリーカンパニー)、『四気質の治療学』(フレグランスジャーナル)がある。詳しいプロフィールはこちらから。
関連記事
こちらの記事もどうぞ
記事URLをコピーしました