2011年東日本大震災と、「いつも何度でも」。空っぽになって充たされる。
アドベント期間中はいつも、いろいろと重要な出来事があるなあと思います。先日、たまたま読んでいた本の中に、あるドイツ人による悲痛な寄稿があって、そこから私はまた、2011年・2012年に自分の身に起きていたことを思い出していました。
それが、2011年の東日本大震災と原発事故の後に、チェルノブイリ原発事故で故郷を失い、日本に移住して日本人と結婚して音楽活動をしているナターシャ・グジーさんの曲を聴いていたときのことです。
その当時の私は、自分が生まれた街の惨状に怒り狂っていました。そういう怒りや嘆きを、ナターシャさんの優しく美しい声が癒してくれるような気がして何回も聞いていました。
そのうち、次第にこの歌詞が自分の中で変化し始めているのに気づいたんです。
当初は、「繰り返すあやまちのそのたびひとは ただ青い空の青さを知る」というのは、ただこの悲劇的な出来事を目の前にして茫然自失している人々の目に映る青い空だと思っていました。
しかし、繰り返しこの「いつも何度でも」を聴くうちに、この無力感と絶望のの極地から、突然反転して、何か新しい
フレッシュなものが自分の中に生まれてきているような、不思議な力のみなぎりを感じるようになったのです。
余震で寝不足の中、この歌を聴いていると、だんだんと怒りややるせなさがシフトしていって、逆に何かが満ちてくる感覚がありました。
「ゼロになるからだが 耳を澄ませる」
「ゼロになるからだ 充たされていけ」
なんというか、吹っ切れた感覚というか、何か新しく始まるのだという感覚がふつふつと湧いてくるようになったんです。
その辺りから、何かのヴェールが外れたように、一気にいろいろなことが進展していきました。
そして、以前こちらの記事で書いたように、「今起きていることは必ずしも悪いことではない」というエレメンタル的な存在からのメッセージに導かれて、東京から移住し、仕事を変え、人生をあちこち迷いながら(笑)歩む日々が始まります。
実はそのころから、私の中で「ペルセフォネ」という女神がとても強く存在感を増すようになっていたのですね。
※ペルセフォネについては、また別の記事で語りましょう・・・。
今年2023年は、2011年+12年、木星のひとめぐりのサイクルです。
そういう意味でも、とても重要な時なのだろうと思います。
そんな出会い(発見)があって、どんなふうにコンタクトを取ろうかなと思案しています。