心の中のヒマラヤ山脈を超えていく。「こころ」の様々な階層について。
聖十二夜のノートワークで振り返りのワークをしていますが、2022年冬至から瞑想の先生を変え、ヒマラヤの叡智との関りが深くなった2023年でした。
※トランジットの土星が月の真上に来た時に瞑想を始めています。インド占星術的にはこの時期にやるといいことは出家らしいですが、まさにそんな展開にw
今回の人生で私が20代の頃に一番最初に触れたスピリチュアルは、今から思うと神智学でした。神智学というか、シャンバラ(ヒマラヤ)の叡智ですね。
小さいころから雪山の連なる山脈を見るといつも心が高揚するんですが、それがいつしか「ヒマラヤ」であるということを知りました。そして、ヒマラヤのどこかにあると言われている黄金郷シャンバラへの憧れも思い出しました。
イエス・キリストも仏陀も、両方とも人生の一時期をヒマラヤの叡智に触れて過ごしたと言われています。他にも多くの聖人やマスターたちがヒマラヤに触れていると言われています。
2023年は夏に永平寺に行ってきましたが、禅(瞑想)の中にもヒマラヤの叡智の一端が流れています。
私の師匠が、「心の中には恐ろしい部分も、醜い部分もある。そういう幾多の困難、心の中のヒマラヤ山脈を乗り越えていくことが瞑想の旅である」と言っていて、その修行を進めて1年。あまりこちらのブログではいろいろ書いていませんが、結構いろいろなことが立て続けに起きています。
以前開いたアガスティアの葉によると、40代後半になった私は世界各地の聖地やアシュラム(寺院、修道院)を頻繁に訪れているっぽいので、いつかインドにも行きたいな~と思っています。
※今のところアガスティアの葉が当たりすぎていてビビる件・・・
さて。
このブログの記事の本題はもう1つあります。それが、「心にはいろいろな階層がある」という話。
心について、私は東洋的(インド的)な5元素の考え方で考えています。
つまり、心の中には、土→水→風→火→空の層があるということ。つまり、土や水などのより現実的な層から空という精妙な層まではいっているということ。
土の部分は、目に見える世界に対する反応や打算的な部分。水の部分は、いわゆる感情。愛着や愛憎みたいな部分も司ります。風の部分は、いわゆる西洋的なマインドの部分。火の部分は、直感やインスピレーション。
そして空の領域から先も、複数の階層に分かれていて、それらを1つ1つ踏みしめていくことが瞑想の本質なのだそうです。
卍易風水で扱っている陰陽五行の世界は、この心の五元素階層理論でいうところの土と水の部分の叡智が多く、西洋の引き寄せ的なマインドを使う手法は風や火の叡智が多いなあと感じます。どれも間違っているわけではありませんが、下の四つの元素は、それぞれ行き過ぎると偏りになります。
でも、四つの元素をなんとか上手にやりくりするよりも、最初からその四つを包み込んでいる「空」の領域に入った方が早いよ、「空」の領域から四元素を動かした方が変な軋轢や停滞がないよ、というのがヒマラヤ的な瞑想の手法なのです。
※ただし、空の領域にもさらに階層がありますので、どういう師匠についてどういう瞑想をするかによっては停滞やトラップ、魔境に入り込む可能性もあります。
いつかインド、そしてヒマラヤに行きたいな~と思っています。カイラス山とか見てみたいな。
あと、気になるのは龍樹に関係しているナグプールですね。日本人の佐々井上人が大活躍している土地です。