プチボノワーク=当たり前の幸せを数える、くらいまでハードル下げよう。宇宙は小さなものも大きなものも同じと認識する。
自分自身を振り返ってみて、不幸だなと思っていた時期は、だいたいが「感謝不足」であること、つまりは傲慢だったことが多いなと思います。
そして、そういう時って、自分の頭の妄想が作り出した歪んだ過去や未来に意識が行っていて、現実の周りや自分をまったく観察できていなくて、ただただ自分が作り出した妄想の中で、ぐるぐると自分の欲望や不安が回っているだけなんですよね。
現代の資本主義社会ではどうしても、不足や不安に目を向けさせて消費を促すということが当たり前に社会の中で行われているので、私たちはこの流れの中に無意識的に巻き込まれています。
それ自体は仕方ない部分がありますが、大切なのは、五感で分かる世界と半径5mくらいの現実の日々の事実確認。
私もここ数か月、プチボノワーク(以前皆さんとやっていたノートワーク)を丁寧に続けています。
プチボノ=小さな幸せ という意味のフランス語です。
ところで、人間の脳が嬉しい、やったー!ってときに出す幸福な興奮感=ドーパミンですが、悲願といってもいいような大きな願いが叶ったときと、小さな願いが叶ったときとで、どれくらいドーパミンの出る量が違うと思いますか?
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実は、大願も小願も、叶ったときに脳が出すドーパミン量はほぼ同じなのです。
だったら、小さな願いごとを宇宙に放って、それが叶ったことをしっかり受け取って、幸せをカウントしたほうが幸せ感度は上がるということです。
とはいえ、プチボノレベルだと、願いを放つことなくむしろ「当たり前」レベルになってることが多い。
なので、プチボノワークは、いうなれば今この瞬間に自分が手にしている小さな幸せをカウントして喜んで感謝するっていう形になりやすい。
まあ、言うなればプチボノワークは「感謝ノート」なんですが、「感謝」って日本語にすると少し大きすぎるかなあと思うんです。
感謝って、「ただ見て、認める」だけでもある。英語で感謝に当たる「appreciation」という単語が、この語感に近い。
つまり、どちらかというと、感謝というよりは、その前段にある「既に与えられている・持っている事実確認のための冷静な観察」この感覚に近いものが、プチボノワークです。
この方運がいいなあとか、この方人生がとてもいい方向に流れているな、という方は、小さな兆しを絶対に取りこぼさない。とても観察眼が鋭いです。そしてそれがもう、わざわざワークにするまでもなく日々の行動レベルまで身についている。
そして、小さな幸せに気づくからこそ、大きな幸せも「当たり前に」手に入るわけです。
小さなものと大きなものは、宇宙目線では同じだと認定されます。たとえば風水でもそうで、とても小さな象徴を効果的に使ってエネルギーを切り替えます。
これと同じで、小さなことに喜ぶことを続けていけば必ず、大きな喜びが当たり前になる現実が手に入るのだなと思います。
逆に、不幸なヒロイン状態になっているときって、意外と自分が持っているものや周りの人の好意を雑に扱っていたり、他の人からのありがたいアドバイスや励ましをむげにしていたりと、他人から見るとまるで自ら目隠ししているような状態です。そして、この状態を放置するから、本当に人は不幸になっていくのですね。
プチボノは、幸せなふりをするみたいなことではなく、自分が持っている持ち物の確認程度の淡々としたもの。もちろん、不幸に感じている自分を否定しなくてもいい。どういう自分がいてもいいのですが、それでも「ある」を見ると決めることが、プチボノなんです。
皆さんの持っているプチボノはどんなものがありますか?