真の両性具有(男性性と女性性の統合)とは。似て非なる太古の雌雄未分化の危険性に陥らないことが水瓶座の時代には重要かも
そろそろ2021年11月・12月の日蝕月蝕のタイムラインの影響が出てくるころ合いですので、10年とか20年スパンの遠い記憶のタイムラインを拾っています。振り返りムーンノートワークの皆様には後日シェアしますね。
でね。その作業の流れの中で、なんと11年も前のメールが出てきた!(笑)
そのメールはある方(男性)とのメールのやり取りだったのだけど、両性具有がテーマでした。あの当時はまだ20代で若かったなー(笑)
それでね。このメールのやり取りを改めて読んでいて、真の両性具有と太古の雌雄未分化の状態と、何が違うのだろうかと数日間考えていました。
・・・それは、「今このままでいい、変わりたくない」と思うか、それとも、「生き続けたい、変化に対してしなやかに受容したい、たとえそれが痛みを伴うとしても」と思うかの違いだと思います。
スピリチュアル系の思想の中には、「太古の時代、あるいは遥か昔、完全な状態が存在していた。しかしそれが何らかの理由(罪、災害、意識の穢れなどの理由)によって壊れ、どんどん不完全な状況が作り出された。今私たちが生きている現代は、この不完全極まりない状況である。今こそ、太古の時代、あるいは遥か昔の完全な状態に戻るべきだ」という発想が入っているものがある。
ある種の失楽園的発想、堕落理論みたいな発想です。私見では、先住民族万歳、縄文万歳の人にこういう傾向は強いですね。
この発想に立つと、太古(の雌雄未分化)の状態が完全であるという発想になり、その後に続く(両性の)分離と対立の歴史は否定されるべき闇歴史ということになってしまいます。
私自身この傾向が20代の頃まで非常に強かったので(今から思うと若気の至りなんですが(笑))、こういう雌雄未分化の状態の片鱗を今世でもキープしている人と出会うことは多かったと思います。
その経験から言うと、太古の雌雄未分化の状態のエネルギーをキープしている人は、ある種の魅力や才能を持っている人が多いのです。芸術家や学者とかに多いタイプですね。それもいわゆる神童タイプの天才です。いつまでも大人にならない、なり切らない純粋な天才性みたいなやつです。
※余談ですが昔私が出会ったこの人も、そういう神童タイプでしたね。
11年前に両性具有に関するメールのやりとりをした男性も、若干そういうエネルギーを残している方でした。
その人と私の関係性において、お互いの中に見ている質が実は最も根深い闇だった(だからこそ出会ったしなぜか急速に近づくことになった)、ということを今感じています。
でもね。
40歳になった今の私がつくづく感じる真の両性具有というのは、単純な過去の状態への回帰の末に達成されることではないな、ということです。
私たちが真の両性具有を達成するためには、すべての分離と対立の意味を理解しそれを肯定した上で、太古の雌雄未分化の状態以上に高められた男性性と女性性の統合を達成することなのではないかと感じます。
そしてそれが、個人個人のレベルで言うと恋愛において最も強固に表れてくると思っています。
だって恋愛って・・・とても痛みを伴うし、結構つらたんな営みです(笑)恋愛しているときは人間は思わぬ闇を露呈しますから・・・。嫉妬したり、憎んだり、あれこれのネガティブ感情が出てきたりするでしょ(笑)そして、一見光のように見える質がものすごく大きな闇だったりもするわけです。
なにしろ、今パートナーシップのシャドウワークを振り返りムーンノートワークで取り組んでいますが、ユング心理学のセラピストによると、「シャドウの最も強力な投影は、恋に落ちるということである」なので・・・。
逆に言うと闇を見なくて済む恋愛って、何かそれ自体が実はより巨大な闇だったりしますよね。
風の時代ということでツインレイだツインソウルだという話が盛り上がったり、
男性性と女性性の統合に関して話題になるのは、ある種の必然です。
風の時代の始まりは水瓶座でのグレートコンジャンクションでしたので、これから少なくとも20年間は水瓶座的なものが社会の常識になる時代です。
水瓶座って星座は最もLGBT率が高いとさえいわれており、ある種の中性的な存在として認識されることが多いですが、ここで単なる赤ちゃん的な雌雄未分化にとどまるのか、ありとあらゆる闇をちゃんと肯定して統合できた上での両性具有なのか、似て非なる状態を見極める必要はあるよなと思いました。