如意宝珠と如意輪観音と親鸞の女犯偈の「玉女」の正体。ダキニその3
さて、ダキニについて語るシリーズはいよいよ3記事目になってきました~。
この記事では、浄土真宗の開祖である親鸞が実はダキニと関係していたのではないかというテーマについて語りますね。
この学びについては、こちらの本を大いに参考にさせていただきました。
こちらの本は、主に日本という国でのダキニのエネルギーがどういう風に影響を与えているかを、仏教神道民間信仰織り交ぜて解説してくれていてとても参考になります。
でね。
この本の中に、かの有名な親鸞の「女犯偈(にょぼんげ)」とダキニが関連していたのでは?という話が出てきて、実に興味深かったです。
親鸞と言えば浄土真宗開祖ですが、比叡山で修行した後、29歳の頃京都の頂法寺の六角堂というところに籠って、夢告といって夢でお告げを得る修行をします。
親鸞は悟りを開きたいという情熱と同時に、強い煩悩(性欲)にも悩まされていて、そのことにずっと苦しんでいたのですね。
当時仏道を目指すためには純潔を保たなければならないと言われていて、それなのにどうしても煩悩を捨てられなかった親鸞は、29歳のときに六角堂へ100日の参籠をしたのです。
でね、この悩める親鸞に如意輪観音が姿を現して、このようにお告げしたと言われているんですね。
行者宿報設女犯 我成玉女身被犯
一生之間能荘厳 臨終引導生極楽
もし行者(あなた)が宿命によって女性と関係を持ったとしても、私(如意輪観音)が玉女となってその行為を引き受けましょう。
一生の間あなたに寄り添い、必ず極楽へ導く力になりましょう。
上で挙げた本の作者の方(羽田守快さん)は、ここで「玉女」と言われているのが実はダキニではないか?というのです。
というのが、親鸞がこもっていた六角堂のご本尊は如意輪観音ですが、様々な種類がいる観音の中でも如意輪観音は如意宝珠の三昧に入る観音なのですが、ダキニ天の三昧も実は如意宝珠なのだそうです。そして稲荷の本地とされたのも如意宝珠なのだと。。。
この根拠として、親鸞が法然のもとで修業をしていた比叡山の場所は黒谷(くろだに)というところで、ここは唯一天台宗の中でダキニ天の信仰が伝えられているところらしいのですよ。確かに神社ではありますが、この比叡山黒谷には星峰稲荷神社がありますしね・・・!
この説は羽田守快さんの自説ということで、何か根拠があるわけではないそうですが、私はこの一節を読んでものすごーーーーーーく納得できました・・・。
なぜかというと、比叡山黒谷のこの星峰稲荷神社には、雪のように白い狐が現れて福徳を授けたという伝説が残っているからです。
私的には、今回の一連のダキニに関する学びの始まりは、9月9日の白狐が宝珠を持ってくるところからでしたので、ここにきてやっと、何か納得感と腑に落ちた感がありました。
親鸞といえば仏僧でありながら肉食妻帯にOKを出した宗教改革者ですが、弱く罪を犯してしまう凡人であっても救済がある、むしろ自力での悟りには限界があるのだという彼の確信を作ったのはこの夢のお告げ、女犯偈だったのですよね。
ちなみに、ツルティム・アリオーネさんのチベット仏教の話を読むと、ダキニは、ひたすら学問にだけ打ち込んでいるエリート僧侶のところになまめかしい不可触民の階級の女性の姿で現れて私とセックスしなさいと迫ったり(笑)、断食中にいきなり生肉を持って現れたり(笑)するらしいですよ・・・! かなりブラックユーモアに近いお茶目さですねwww
※ツルティム・アリオーネさんのこちらの本とかに書いてある~
表面的に考えると、ダキニは仏道の邪魔者みたいですが、むしろ自我ですべてを成し遂げられるというおごりを打ち砕き、硬直した男性的な思考を柔軟にさせることで、親鸞的な他力、つまり自力では成し遂げられない愛に導く女性的な知恵の象徴なのです。
・・・ところで、親鸞につながったことで、私がここ数年密かに興味を持って調べている大乗仏教とシュタイナーというテーマにも着地しました。
バイオグラフィーワークをスイス・ドイツでされているアルトハウス純子さんのこちらのブログがとーってもとーっても参考になる。
>親鸞とキリスト精神
>親鸞と内的な神秘死
>親鸞の語る仏の他力と、シュタイナーのいうキリストの愛
自分が一人で修行をしても不完全さはぬぐえない、だからそこに他力が入り込む余地があり、そこに仏の力が現れるということを親鸞は言っていますが、シュタイナー的なキリストの愛もそれに近いですね。
キリストの愛は「裁かない愛」だと言われたりしますが、まさにそうだと思います。
キリスト体験を持った人たちはすべて、この「裁かない愛」に出会っています。
ちなみに、不完全であることを怖れないという意味では、アキランデシュヴァリにもつながりますね・・・。
ところで、親鸞の生きた時代は鎌倉時代ですが、この時代というのはチベット仏教においては女性覚者のマチク・ラプドゥンが提唱したチューの一派が栄えた時期と一緒だと気付きました。
そして、私がずーっと前々から追いかけているブラックマドンナを信仰する12~13世紀のゴシック建築のカテドラル運動も、同じような時期です。ブラックマドンナと言えば聖書の雅歌の「私は黒いけれども美しい」と語った存在との関連が言われていますが、雅歌はこれ自体がかなり女性的な叡智への賛歌なのですよね。
※2020年秋分の日にやったグレコンお茶会の動画はこちら~
つまり、前回の風の時代の主にはじめの頃、洋の東西を問わず、こういうダキニ的な女性的な叡智のエネルギーを受け取って既存の宗教を革新させていくための女神の衝動が天から広がっていたということです。
でね。ようやくここで占星術のネタが出てくるんだけど(笑)、進化占星術のジェフ・グリーンによると、ちょうど1200年前後というのは、魚座の時代のさなかにあって対向サインである乙女座のエネルギーが現れてきやすい時期らしいです。
もともと魚座の時代のエネルギーを理解するうえで、魚座と反対側の星座である乙女座のエネルギーの理解は重要だよ~という話はしてきましたが、
1200前後に各地で現れたダキニ的な、あるいはブラックマドンナ的な叡智の女神というのは、あくまで「土(肉体)」から離れることのない女神性なのではないかなと感じています。
それにしても・・・親鸞って面白いわ! はよ、シュタイナーと親鸞の研究すすめたいw