2022年3月21日の日本の春分図のICにおける小惑星キロンとパラスの合について
最近ようやく小惑星講座PARTIをガシガシ仕上げ始めているので、2022年の年間の運勢読みが若干遅れておりますが(汗)、私が最初に2022年の日本の春分図を出してみて「ん?」と思った配置があります。
※小惑星講座PARTIについてはこちら~
※2022年の立春図と春分図の読みについてはこちらに挙げています~
それが、ICにおける小惑星キロンとパラスの合。
この配置を見て私が即座に思い出した絵があります。
それが、ルネサンスの画家ボッティチェリの「パラスとケンタウルス」の絵です。
via Wikimedia commons
この絵の解釈はいろいろあるようですが、一般的にはケンタウルス族は好色で知られており、一方アテネは処女神とも言われるので純潔を象徴しており、純潔が好色に勝利するという意味があるなどと解釈されるようです。
ただし、ボッティチェリの絵は複数の層が織り込まれていて、右側の武装した女性はパラス・アテネであると同時に、「アエネイス」に出てくる女戦士カミラでもあるそうです。その証拠により古い目録では「カミラとサテュロス」というタイトルもつけられているとか。ウフィツィ美術館のサイトでも、この二重の意味が説明に載っていましたね。
個人的には、春分図ICにおけるキロンは、パンとの関りを感じます。つまり、自然界の中にある途方もない(ある意味ではセクシャルな)パワーと怒り。
※パンについてはいくつか記事を書いているよー
おそらく2022年1年を通じて、日本ではこうした自然界の災害が断続的に続くでしょう。
しかし、そこにパラスが合ということはとても意味深いと思います。
今小惑星講座の準備中で、ちょうど先週パラスのエネルギーを深掘りしていたのですが、もともとパラス・アテナって、6000年くらいまでのリビア(北アフリカ)の水辺で生まれた山羊皮を被ったアマゾネス的なニンフ(妖精)だったのが、民族移動や長きにわたる変遷を通じてギリシアの都市アテネを守護する都市国家の女神として崇拝されるようになったという経緯があります。
小惑星パラスは、パラス・アテナの略ですが、実は「パラス」というのはかつてのアテナの親友の名前なのです。
アテナが「パラス」を冠するようになる象徴的な出来事が、かつて彼女が生まれ育ったリビアの伝説の湖のほとりで、親友のニンフ(妖精)であるパラスと武術の稽古をしているときに、誤ってその親友を殺してしまったことを悲しみ悔いてパラスの名を自分の名前の前につけたといわれています。
個人的には、これは、「世俗のダキニから叡智のダキニへの変容」と同じ現象が、西洋的な自我の成長という観点で行った事例かなと感じています。
ダキニは東洋の女神らしく、疫病を流行らせる怒り狂う野性的な精霊から、慈悲と知恵を身に着けたチベット仏教の女性的な叡智の象徴へと変貌しますが、アテナは西洋の女神なので、自らの内側に闇を見出しその要素を自覚し続けることによって大人へと成熟していきます。
つまり、「野生の女 Wild Woman」的な、奔放で力強いけれどまだ叡智を持っていない自然に近い存在だったアテネが、自分自身の中にある若くてワイルドな少女性の闇(自分のパワーの誤用で親友パラスを殺してしまう)を自覚しそれを叡智に変えていくということが起きているように思うのです。(フェミニスト的解釈をすると、アテネが母系社会から父権社会へと形を変えて取り込まれていったとも言えますが、このような短絡的なフェミニズム解釈は、母系社会=善、父権社会=悪という二元論に陥りつまらないので(笑)私はあまり採用していません・・・w)
※余談ですが、イシュタル(イナンナ)の神話の中にリリスが登場するのですが、イシュタルはリリスを追い払います。この追い払われたリリスは、野性的で誰の支配も受けない少女的な女性性なのですが、この部分をイシュタルが自覚的に追い払うことで、彼女は男性(英雄、王)に対して聖婚を授ける女神に成長していきます。
ただし、リリスは完全に死んだわけではなく、必要であれば追放された荒野からいつでもこちら側にやってくる可能性を秘めてもいるというのがポイントですね。
・・・長くなりましたが、パラス・アテナと呼ばれるようになったアテナは、もはや山羊皮を身にまとった半野性的なアマゾネスではなく、そうしたパワーや野生の力の危険性をも知った上で文明社会の中で叡智として使うことのできる女神なのです。
これが牧神パン的な自然界の傷と癒しを示すキロンに合なので、2022年、おそらく日本各地で土地の傷や怒りの象徴のような災害が続くでしょうが、同時にそうした自然のパワーを建設的に使うための叡智、その土地その土地に根付いた女性的な叡智によって、こうした自然界の怒りや傷がなだめられつつ変容していくのではないかと思います。もっと端的に言うと、日本各地に根付いた植物などの土地の産物を使った癒しの技術や、それらの自然と文明の共生の知恵がクローズアップされる1年になると思われます。
※個人的には、既にそういう活動をされている方と出会っています~!
災害が多くなることそのものは善でも悪でもなく、単純に地球の変容の象徴なので、それらの奔放な力を人間としての知恵を使って建設的に昇華させていくことが2022年は重要になりそうです。