[つぶやき]解放を待つエレメンタルの怒りとオーラソーマボトルB117の「パン」
先日、猛烈に怒っていた時期があって、その時に使用を再開し始めたのがオーラソーマボトルB117の「パン」でした。
※牧神パンについてはオーラソーマとは関係なく、以前からいくつか記事を書いています。10年くらい前からずっと気になっていて。
で。気になるもんですから牧神パンを買って2020年の最初から使い始めたんです。
ちょうどコロナの直前ですね。しかし、コロナで自粛になったときに一度使用をやめてたのです。
ところが、10月の火星逆行と水星逆行の最中にがーっと怒りがわいてきて、なんだかこのボトルを使わなきゃいけない!と思って再使用したんです。
そうしたら、あれよあれよと過去生を思い出すやら、色々なものが噴出してきた(笑)
特に魔女裁判とか拷問の記憶がよみがえってきたその時にふと感じたのが、
アトランティスってこういう状態だった
っていう妙な既視感です。
パンのボトルは、上がターコイズ(技術、最先端の文明、自由)で、下がレッド(怒り)。
よく言われることですが、、アトランティスの時代クリスタル(現代のクリスタルとイコールではなく、当時の地球の大地のエレメンタルの結晶としてのクリスタルという意味)がその文明を支えていたと言われていますが、このクリスタルは、人間の技術や自由を求める暴走によって汚染されていて膨大な怒りをため込み、にっちもさっちもいかなくなって災害が起きてしまったわけです。
これはクリスタルだけではなく、エレメンタル全体に対しての、人間の欲望による汚染。そしてそれらの人間の際限のない欲望に対する怒りが、エレメンタルにはあったんじゃないかと感じています。
特に今イメージで思い浮かぶのは遺伝子操作による動物や人の改変ですね(多分私もその当時やっていたはず。元彼は遺伝子工学の研究をしていたし・・・)。
で。
この怒りの嵐の中でふと、自分が魔女(大地のエレメンタルとワークするハーバリストとかね)だったころのことを思い出したときに、実は魔女的な態度でエレメンタルたちに接するということは、それ自体がエゴだったんじゃないかということです。
極端なことを言うと、魔女は、実はアトランティス時代の技術者とある点においてほぼ大差がないということです。
ちなみに「魔女」という言葉は嫌いだとこのブログで何回も伝えていますが(笑)、私が定義する「魔女」というのは、以下のようなエゴなエコを良いと思っている人たちのことです:
・・・しかし、エコロジーへの関心がすべて良いことかといいますとそうでもないのです。それはある意味、唯物論的、物質主義的な考え方でもあるからです。つまり、次の世代の人々が私たちと同じようにこの地球から恩恵を受け、存在していくためには、私たちは今地球を大切に扱って地球を破壊から守らなければならない、そういった考えたそのものに、既に唯物論的な背景が若干あるように思われるのです。このように地球について考えることはある意味で、エゴイズムからの発想だともいえましょう。それは私たちの地球が私たち人間のために、未来においても物質的に存在し、豊かな物質的恩恵を与え続けるようにという思いです。しかし、自然は単に物質的、生物学的、科学的に存在しているのではなく、自然の中には霊的な存在者が活動しているのです。そしてこの存在者たちが私たちに、いろいろな物質的そして精神的恩恵をあたえているのです。そのことを考えずに地球の物質的な未来を考えるのは利己的ともいえます。
出典:「イースターの秘密」涼風書林 ハンス=ヴェルナー・シュレーダー
こういう態度って、いわゆる先住民の叡智系とかもこの中に入る考えが多いかもしれません。
他にも、マクロビアンとか、残留農薬のチェックとかしまくる先鋭的なオーガニックや無農薬好きさんとか・・・。
こういうこと書くと敵をたくさん作りそうですが(笑)。
さて。私たちを取り巻く自然界のエレメンタル、自然霊たちというのは、私たち人間への奉仕のためにつくられた存在だと思うのですが、最終的には彼らもまた、私たち人間と一緒に進化し、解放されることをこいねがっているのです。
つまりどこかの時点で、私たち人間によって(都合よく)使役される岩や川や樹であるという役割から解放され、自分たちの真の姿(高次の天使的な出自)を思い出したいと思っている、それがエレメンタルたちの潜在的な願望なのだということです。だからこそ自然霊やエレメンタルたちは、私たちを助けてくれるのですが、そこには、同時に、私たちに助けられたいと思う気持ちもあるのです。
先日、日本は龍を解放する文化と書きましたが、この関係性が一番良く分かるのが、「千と千尋の神隠し」の、千(千尋)とハクの姿です。
ハクは、千尋が小さいころによく遊んでいた河の神である龍神なのですが、ゆばーばにとらえられて(名前を支配されて)、使役されてしまっています。なぜなら、ハクは自分の3次元的実体であった河が埋め立てられ居場所を失ってしまったから。
今、こういうエレメンタル(特に龍神)って、実際めちゃくちゃ多いんですよね。たくさんいます。
こういうエレメンタルに対して私たち人間がしてあげられることがあるとしたら、それは、新しく彼らが依り代にして宿れる岩や川や樹を探してあげることではなく、怒りを共有してエゴなエコに走ることではなく(笑)、むしろ彼らの本当の名前、龍神になる前の天使的な出自を思い出せるように導くことなのです。そして、そのためにこそ私たち人間が自分の真の名を思い出すことが必要であるということです。
ちょうど「千と千尋の神隠し」で、千となっていた千尋が真の名前である千尋を思い出した時に、連動してハクもまた自分が龍神以前にニギハヤミコハクヌシという神名を持っていたということを思い出し、もはや龍神としての姿をなくし、その役割(人間への奉仕)から解放されたように。
ただ単に地球やエレメンタルたちを「守る」ことが人間の役割なのではないということです。ある意味では破壊でもある「救済」こそを、エレメンタルたちは人間に求めているのだと思う。
余談となりますが、精油を作るプロセスは、植物のエレメンタルにとっては非常に大きな苦しみを伴うけれど彼らを物質から解放して本質へと変容させるイニシエーションなのです。そのようにして生まれる精油は、植物にとっては苦しみであるけれど喜びであると知っているからこそ、彼らはアルケミストの手に自分たちの命をゆだねてくれるのです。
これ(エレメンタルたちは物質世界での役割から解放されたい、真の名を取り戻したいと思っている)を知っているかどうかが、魔女やアトランティスの科学者と、現代を生きる私たちの意識の違いだと思っています。
「千と千尋の神隠し」では、エレメンタルを使役せず友のように扱う別の魔女、ぜにーばが出てきます。
「魔法で作ったんじゃ何にもならないからねぇ。」
といって、皆で地道な作業(糸をつむぐ)をするわけですよ。そして、そうやって作った髪留めにこそ魔法が「降りてくる」。
これがフィンドホーンとかで言われている共同創造なんじゃないかなあと思う。
・・・このように本来人間は、倫理(人間としての愛)という動物や自然が知らない愛を伝えてその炎で温めるという使命があるのに、その役割を人間が怠ると、エレメンタルたちは底なしの強い怒りを感じるのだと思います。
ちなみにこれは、スペインの過去生で私を裏切った修道士(本来キリストの愛を表現する存在)に対して私が感じていた感情ともフラクタルになっていると思いました。
まあ、それとは別の転生では私は、絶対にエレメンタルをほしいままに使役していたと思う(アトランティスとか、別の転生での魔女的な人生とか)ので、ある意味ではエレメンタルの苦しみに近いものを別の人生で学んだということなのだと理解していますが(やったことはやられるの法則)。
話が少し脱線しましたが、今という時代に進化している人間には、使役するという姿勢で魔法を使って何かの力を大地やエレメンタルから引き出すことで魔法を具現化することは、もはや許されない(今の時代には黒魔術だ)ということだと思います。
大切なのは、大地やエレメンタルたちに真の名前を思い出してもらえるように導ける人間であること。
もし、そういう存在になっていれば、おのずと魔法は起きるのだということです。
そしてそのときに、エレメンタルや龍たちは本当に解放されるのだと思います。
・・・それにしても、ここ最近のオーラソーマボトルは自然霊や妖精との関りが深くて、かなり深遠ですね。
次は「エコー」のボトル使ってみようかなー。