祈りを香りに乗せて。聖十二夜のノートワークの準備中。
ここ最近、聖十二夜のノートワークのガイダンス的なメッセージがちょいちょい降りてきます。
※今年は冊子ありコースはゴージャスな書き込み式テキストですので^^ 1年間手元に置いて振り返ってくださいね~!
でね。今年の聖十二夜のノートワークのテーマは「祈り」なのですが、どうやら祈るときに香りを合わせることが大切みたいです。
というわけで、使う予定のカード類に、お気に入りのアロマをムエットにつけて香らせたりしていますよ。※個人的にはフランキンセンス使っています^^クリスマスだしね。
・・・と、準備をしている最中に、ふと、
「何でも一人でやろうとしないで。人間だけでどうにかしようとしないで。私たちがサポートするから頼って」
と・・・。
どうやら、寝室に飾っている百合の花の妖精?からのメッセージかな・・・。
・・・今年は、ノースノード(ドラゴンヘッド)が牡牛座ということもあって、地球の物質的な側面、自然界の存在にフォーカスが当たっていると思っています。
※個人的にはフェンネル(植物)のディーヴァ的な存在に救われる経験もしています。
・・・それで、年初に書きかけたこちらの記事に絡めて読んだシュタイナーのエレメンタルに関する言説を思い出しました。
シュタイナーの四大元素理論は独特で、四大元素はそれぞれ並列の関係ではなく、どちらかというと縦軸の関係、つまり、地=個体、水=液体、風=気体、そして火=熱だと考えているのですね。
四つのエレメントのうち、火のエレメントってとても特殊です。
火は外的な物質と人間が内的に知覚する心魂的なものとを結ぶ橋(あるいは境目)となっているので、インドをはじめとする古代の科学では火の考察を中心に据えていました。
そして、物が燃えるとき、2つの自然現象が現れてきます。
1つは「煙」であり、もう1つは「光」です。よって、火は光と煙の中間にあるものだとされていました。そしてこの「光」は、肉眼では認識できないもの(エーテル的・霊的なもの)に属しています。
よって、土、水、空気を通って火、そして光へと上昇すると、肉眼で見える世界からエーテル的・霊的な世界に移行するということが言われていました。
で。
火が何かを燃やすときには、必ず「煙」と「光」の2つが生じる、つまり、光という精妙で明るいものが生じると同時に、濁った暗い物質が同時に生じるということは、より深い考察に値します。
実は火が何かを燃やす時、熱の中に存在していた霊的な存在、つまり精霊が、煙という空気形態の中に移っていきます。濁りとして発生した煙の中で精霊は魔法(呪い)にかけられ、地上的なものに拘束される(spellbound)のです。
熱とともにあった精霊たちにとって、煙(気体)の中へ、そしてさらに水(液体)へ、そしてさらに土(固体)へと降下していくことは苦痛であり、決して楽しいことではないのです。本来精霊たちにとって火の中が一番心地よい場所だからです。こうして、元素が、火→風→水→土と凝縮していく過程では、常に精霊(エレメンタル)たちが魔法(呪い)にかけられて拘束されている、ということが言えます。
もう一回シュタイナーの言説を引用します。
宗教が本当に霊的な法則の認識の上に築かれていたころ、司祭は供儀の祭壇で炎を燃やし、煙が立ち昇りました。祈りが唱えられ、立ち昇る煙は、本当に供儀になりました。そのような供儀によって、そもそも何が生じたのでしょうか。
司祭が祭壇のまえに立ちます。その祭壇から、煙が立ち昇ります。熱から固体が発生するところでは、精霊が魔法にかけられます。しかし、その経過に人間が祈りを伴わせると、精霊は人間のなかに受け入れられ、その人の死後、再び高次の世界に上昇します。
古代の叡智の弟子たちは、つぎのような言葉を聞きました。「君の霊(精神)の経過を、煙に捕らえられたままにしてはならない。霊を火の元素へと高めるように、外界を見るなら、君は死後、煙のなかで魔法にかけられた精霊を解放する。」
人間がどのような態度で自然に関わるかによって、元素霊(精霊・妖精)たちの運命が変わってきます。地球存在の発生に際して、魔法にかけられざるをえなかった元素存在たちを解放するか、以前よりももっと地球に縛り付けるかは、人間次第だということが分かります。
何らかの外的な対象物を見る人間は、その対象を解明することをとおして、元素霊たちを解放するとき、何を行っているのでしょう。かつて生じたのとは逆のことを、霊的に行うのです。
かつては、火から煙が作られました。いま、人間は霊的に、煙から火を形成します。ただ、その火を人間は、死後に初めて解き放ちます。
(中略)
つぎのように、元素霊たちの運命が示されています。「人間は自分のなかで発展させる叡智によって、死に際して、霊たちを解放する。無知によって、感覚の仮象に物質的に寄りかかっていると、霊たちを自分に縛り付け、霊たちを自分とともに、何度も地上に再受肉させることになる」
シュタイナー著 西川隆範訳 「天使たち 精霊たち」より引用
でね。
今回、祈りは聖霊のガイダンスとともに行う、ということを決断していました。
祈りという言葉は、様々な宗教や文化圏で使われていますが、どういう対象に対してどんな意図で祈るかによって、その祈りはそれぞれ微妙にニュアンスが変わると思っていて、そこには若干危険性のようなものもあると感じています。
たとえば、願望実現の祈りというのも、どういう形で行うかによって「念」あるいは「呪詛」に近い様相を帯びることがあるからです。場合によってはサイキックアタック的なものになったり、どの次元とワークをしているかによって、かなりブラックな様相を帯びます。
私が考えるブラックマジック(黒魔術)の定義の一つが、人間の意識の成長や地球の進化やエレメンタルたちの解放という視点を持たず、地球が永遠に物質的に人間にとってメリットになる存在であってほしいと願うことを土台にしたものだと思うのですね。(そういう意味では、エシカルやSDGsもどういう観点でそれを推奨するかによってちょっと危ういものがある)
魔法というのは本当に素晴らしいツールですが、エレメンタルたちが私たち人間に協力してくれるのは、あくまでその人間が死ぬときに本来の故郷である光の世界に戻っていきたいためであって、再び地球へ降りてきて永劫にこの地球という物質世界を現状維持するためではないと思うのです。
だからこそ、聖霊とともに祈ることが必要になるとと思っていました。
聖霊は、天国の一歩手前(というか天国の端?)で、幻(偽り)の世界を認識しつつ真実の世界を知り、この2つの世界の間を仲立ちしてくれるからです。
そして、人間のマインド(心)だけがこの聖霊の働きを受け入れることができ、この世界を構成するエレメンタルたちは、聖霊の働きを受け入れた人間によってしか、救済(解放)されないのですね。
・・・そう決意したら、急に家中の香りたち、香油や、精油や、におい袋たちが、ぎゅぃーんと活性化を始めたんですよ(笑) 使って使って!と(笑)
どうやら、それら植物のディーヴァたち曰く、そういう祈り(聖霊とともにする祈り)であれば、ぜひ祈りを香りに乗せて欲しいのだと。そういう祈りをしてくれるのであれば、あなた(たち)と一緒にあなたの死後、私たちも解放されるから、うれしいのだ、と。
・・・というわけで長くなりましたが、今年は本当に香りを味方につけて、祈りをたくさんしながら聖十二夜のノートワークを行っていきたいと思っています。
既にご参加される方にはガイダンスと冊子を送っていますが、精油やお香、ハーブのスマッジング、なんでもOKなのでお手元の香りの出るグッズとともに祈りの時間を過ごしましょう♪
※聖十二夜のノートワーク募集中です~